オディールが死んだ日に
何年かぶりに食べるカップ麺は思いのほか旨かった。俺は昔からカップ麺が嫌いだった。決して裕福ではない我が家で両親は共働き、俺の夕飯はカップ麺が多かった。安いし手間がかからないし、母親にしてみては最良だったのだろう。俺は母の手料理と言うものを殆ど知らない。当時は生命保険の営業で昼夜構わず仕事をしていた母親が料理をする時間など皆無で、父は一介のサラリーマンだったが外に女を作っていた。だから家にあまり帰らなかった。そんな二人が何故離婚もせず長年連れ添ったのかは未だに謎だ。
しかし俺も妻ができて少しばかりその考えが理解できたのかもしれない。帰る場所がある。俺は父親のように外に女を作ることはないが、心の帰り場所はいつまでも翆なのだ。
俺がカップ麺を啜っている最中、隣で結はぬいぐるみを抱き上げながらその手や足をパタパタと動かしていた。歳相応…より無邪気なそれは中学生のような幼い仕草だった。いや、イマドキの中学生ですらしないだろう。案外と可愛い部分もある。
「そのぬいぐるみ、ずいぶん汚れてるが、大事なものなのか」俺が聞くと
「ぬいぐるみじゃないよ?ミスだよ」と唇を尖らせた。
ミス…?と言うのがこのぬいぐるみに与えられた名前なのだろうか。
「随分年期が入ってるな」
「うん、結構洗ってるんだけどね、すぐ汚れちゃう。あたしが小さい頃おばあちゃんがくれたの。ホントは本物の犬が欲しかったんだけど、誰が世話をするのっておばあちゃんに断られちゃって、その代わりにって言う意味かな、もらったの」
結はミスと名付けられた犬のぬいぐるみを愛おしそうに撫でる。ミスと言うから女か。よく見たら耳の所にベビーピンクのリボンが飾られてるし黒い目からは長い睫毛が飛び出している。
「だけどね、一週間前、おばあちゃんのお葬式のとき知らない女の人が参列しててね」
一週間―――、と言うとちょうど翆がパリで公演中……と俺は信じているが実際はそうじゃなかった日。
「きれいな人だったと思う。黒いチュールベールのハットを被ってたから顔は良くわかんなかったけど、すっごくいい香りがして。その人がね自分のことをおばあちゃんの古くからの知り合いだって言ったの、それでねあたしに『犬のぬいぐるみ、大事になさいね』って。
おばあちゃんからもらったミスのこと、何で知ってるんだろうって……最初はそう思ったけど、おばあちゃんが隠してた手紙は実はあの一通じゃなくて沢山送られてたんだ。その中に『娘の結のお誕生日にぬいぐるみを贈ります』って手紙が入ってた。ミスはおばあちゃんじゃなくてお母さんからの贈り物だったんだ、と思ったら猶更大事にしなきゃ、って思って。そう言えばおじさんとこのシャンプー、この香りに似てた気がした」
結はきっちりドライヤーで乾かしたふわふわの髪をちょっとつまんで鼻先で匂いを嗅ぐ。
なるほど……
となると、やはり翆はパリに行っていなくて結のばあちゃんの……翆に取ったら実の母親の葬式に参列した、と言うわけか。
でも、何故パリに行くなんて嘘を着いたんだ―――