オディールが死んだ日に
翆は噴水に入ったまま両ひざに手を当て
「こんなことしたの初めて。一度優等生の型を破ってみたかったの」とほんの少し笑った。俺より年上かもと一瞬思ったものの、その笑顔は少女のようにあどけなかった。
「そっか、俺は劣等生の型破りな人生だったな」俺も履いていた革靴を脱ぎ、靴下も放り出した。
「そんな気がした」
俺が翆のいる噴水に入っていっても翆は逃げることはしなかった。それどころか近づいてきた俺を見上げるとどこか憂いのある顔で微笑んできた。
降り注ぐ噴水の水しぶきは翆の黒く長い髪をしっとりと濡らし、ドレスやむき出しの肩や腕、足に雫の粒を浮かせている。俺もまた着ていたスーツが水浸しだったが構わなかった。
俺は殆ど何も考えず翆の顔に手を伸ばすと、その顔をやや強引に自分の元へと引き寄せた。唇と唇が触れ合う瞬間
「後悔、しない?」とここに来て足踏みをする俺は自分自身に驚いた。俺は―――今まで欲しい女は多少強引でも手に入れてきた。手に入れてきた女たちもそれを拒まなかった。なのに今俺はこの名も知らない女に気を使っている。
翆は俺の頬に手を伸ばしてきた。冷たい指先だった。
「しないわ」
たった一言だったが、俺たちはまるで初めての口づけのようにぎこちなく、しかしその後は貪るようにキスを交わした。降り注ぐ噴水の水しぶきがまるでシャワーの音のように聞こえた。
「これ、私の公演。NYでの公演は明日で最終日。きっと主役を張るのはこれで最後だから、最後の一枚は大事にとっておいたの。運命の人と思える人が居たら渡そうかと」
と、噴水から手に手を取り合い笑い合いながら裸足のまま、髪や服が濡れたまま俺たちは噴水の石畳に腰を下ろし並んで腰を下ろした。翆は黒いクラッチバッグから一枚のバレエの公演チケットだと思われるのを取り出した。