ジングルベルは、もう鳴らない

第32話 彼はジェントルマン

「樹里さん、何か気合入ってますね」
「まぁ、ちょっと。実は、羽根のご主人。少しだけ知ってるの」
「え、そうなんですか。なら、そう言ってくれたら良かったのに」
「でも、そういう情報は評価に邪魔になるから。あくまで平等にしてもらいたかったのよ」


 金曜日の午後二時過ぎ、大樹と一緒に戸越に降りた。課長も部長も、『喫茶店のカレー』という着眼点を褒め、すぐに進めるよう背を押してくれた。チームメンバーを商品化へ割り振りし直し、次の大きなステップは店の同意を得ること。それは当然、樹里が担当する仕事だった。
 斎藤とは、あれ以来まだ会っていない。残業が続き、ブンタの散歩の時間に合うこともなかった。母親の骨折は、大丈夫だろうか。気掛かりではあるが、今日はそういう話をしに来たわけではない。ブンタがいる時のように、穏やかに話ができれば一番いいが、これは仕事だ。線引きはきちんとしておきたい。


「樹里さん、ここですよ」


 大樹の声に顔を上げる。深く息を吐き、強張っていた頬を緩めた。大樹が指す先を追い、見つけた喫茶店。レンガ張りの、昭和感漂う懐古的な店構えだ。人通りの多い道から少し入った所にあり、静かに過ごせるだろうな、と想像した。通りから奥まった扉の脇に、小さな昔ながらのショーケースが置かれている。ナポリタンやクリームソーダの食品サンプルが飾られ、それもまたレトロな雰囲気を醸し出していた。
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