ジングルベルは、もう鳴らない
「お忙しいところ、お時間いただきありがとうございます。改めまして、こういう者です」
「頂戴します」


 樹里がスッと差し出した名刺を、斎藤が受け取る。ちょっと震えた手に気付かれたろうか。優しい顔でいようと決めたが、頬の強張りを感じる。視線を落とし、樹里は細く息を吐いた。大丈夫、上手くいく。そう言い聞かせて、明るく顔を上げた。二人の名刺をテーブルに並べ、斎藤はそれをじっくりと見つめている。


「僕、使ってますよ。スパイスとか。あぁ……そうか。だから、カルダモン」
「カルダモン?」


 即座に反応した大樹を無視して、「そうなんですよね。つい仕事柄」と笑った。彼の部屋でカレーを食べた時のことだ。つい零したスパイスの名を、彼は覚えていたのか。普通の人は、あまり口にしないのかも知れない。今後活かされる気もしないが、胸にしっかりと留めた。


「へぇ、そうかぁ。あぁ、えっと。それで……? お仕事の話っていうのは、僕にですか」
「はい。資料を作って来ましたので、目を通していただければと思うのですが」
「資料、ですか。難しい話です?」
「あぁ、いえ。端的に申しますと、弊社の『隠れた名店の味』というプロジェクトで、こちらのカレーを商品化させていただけないか、というお話で参りました」
「商品化?」


 斎藤は目を丸めて、樹里を見た。真っ直ぐに向けられた瞳に、蓋をして来た感情がドクンと動く。奥二重の切れ長の目が、何度かパチパチと瞬きをした。
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