ジングルベルは、もう鳴らない
「あ、そうだ。松村さん。発売日の八月四日の夜って、お忙しいですか」
「えぇと、夜ですね。確か午後は、特に大きな仕事はないので……締めくくりをして、流石に早く帰りたいなぁって感じですね」
「あの、その日。空けておいて貰えませんか」
「え?」
「あ、いや……折角一緒に頑張ったものなので、スーパーに並んでるのを見に行きません? 本当につまらない誘いなんですけど」
「ふふ。いいですね。見に行きましょうか」


 ちょっとドキドキしたけれど、こんな話も普通に対応できるようになった。彼は仕事の相手。彼もまた、そう接してくれていた。斎藤の店を選んで、本当に良かった。今はそう思っている。 


「今日って、この後戻りますか」
「いえ。ここまで来たので、帰りますよ」
「あぁ、ですよね」
「はい」
「それじゃあ、ケーキ食べませんか」


 ケーキですか? と繰り返したが、意味がよく分かっていない。もう遅いから、店の残りとかだろうか。それでも、今まで同じような時間に来て、そんな誘いを受けたことはない。樹里が疑問に思っていると、「そうです。オーソドックスなイチゴケーキです」と斎藤が笑った。ケーキの種類がどうという話ではないのでは、と思ったが、彼があまりに普通なので頭にはてなマークが並んだ。


「あ、えっと……は、はい。いただきます」
「良かった。母さんが買って来ちゃって。五十過ぎの息子の誕生日ケーキ」
「誕生日、ですか」
「あ、はい。僕、今日で五十二なんです。お恥ずかしい」


 そう言って、斎藤は困り顔でこちらを見た。樹里は驚き、パチパチと瞬きをする。多少の間を空けて、「あ、あっ。私も今日……」とおずおずと手を挙げてみた。すっかり忘れていたが、今日は樹里の三十八の誕生日だった。
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