ジングルベルは、もう鳴らない
「私、千裕との子供が出来た」


 香澄はそう言うと下唇を噛んだ。え、と思わず零れた小さな声を飲み込んで、樹里は固まる。今、子供が出来たと言ったか。どういうことだ。冷静を装いながらも、混乱している。千裕は優しい男だ。誰にだって優しい。ちょっと言い寄られてほだされるようなことも、無いとも言えないが。簡単に浮気をするような男ではないと思っている。六年も一緒にいるのだ。そのくらい、樹里が一番理解している。そんな大胆なことを、千裕は出来やしない。

 そうやって頭の中を完結させようとするが、なかなか簡単にいかない。これまで見たことのない香澄の様子が、それを端っこから破壊していくのだ。これは、本当なのか。現実なのか。樹里の心がざわざわと騒ぎ始めた。


「千裕にも話はしたの。でも、堕ろせって。結婚もできないって。あぁ樹里だって……悔しくて。樹里と付き合ってるのは、同期から聞いてた。それなのに……ごめん」


 そう話す香澄は大きな瞳一杯に涙を溜め、真っ直ぐに樹里を見つめた。本当に、千裕が堕ろせと言ったのか。その言葉がどれだけ残酷なのかは、同じ女として理解する。やることだけやって、逃げる男は最低だ。ただ、そんなことを自分の彼氏がするだろうか。千裕はそんなことはしない。するはずがない。だけれど、少しずつその自信が欠けていく気がした。
 香澄はグズグズと鼻を鳴らす。自分のお腹の中で大きくなる命。それを感じてしまうと、漠然とした未来が不安で仕方がないのだろう。父親はいて欲しい。そう願うのも当然だ。樹里は、どこか他人事だった。フワフワと浮いているような気がして、きちんと現実を捉えることができないでいる。
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