婚約破棄?   それなら僕が君の手を
 リシェルが会場に入ると、視線がこれでもかと刺さってきた。リシェルは冷や汗をかいていても平静を装わねばならない。声も聞かれたくないので、誰も話しかけてこない事を祈るばかりである。

 王太子カイトに対しては緊張はしないものの、この夜会は今日まで特訓してきた事の成果を披露する場であった。何も考えずとも体が動くまで練習させられた甲斐があって、ダンスは無事に終了した。すると、リシェルとの次のダンスを求めてたくさんの人が寄ってくる。王太子カイトが指定した人物が近づいてくると、カイトはリシェルに目配せして去っていった。
(はぁ、殿下の期待通りにいくといいけど。)
気が重くなるのを感じながら、目的の人物から声がかかるのを待った。

 その人物に誘われて会場を出ることになり、リシェルがちらりと兄のジェシーを見ると「問題ない」という表情をしていた。
 いまのところは計画通りに進んでいる。この後のリシェルの動きは「アドリブで」と王太子に指示されている。つまり『丸投げ』である。動作がぎこちないのは場慣れしていないからだと思われているようなので誤魔化せている。会話が続かないのは、そもそもリシェルが社交的ではないのと、あまり声を出さないようにと王太子に指示されたからだ。そのことが何故か相手を焦らせていた。
 最初は対面の長椅子に座っていたはずなのに、いつのまにか相手は横に座っている。何が起こるのかと戦々恐々のリシェルはちらちらと部屋にいる護衛と侍女を確認した。
 相手が近すぎて何を言われているか全く頭に入ってこないが、小さなベルベットの袋を渡された事だけはわかった。中身を取り出し
(これはもしかして)
と、思うまもなく、相手の顔が近づいてくる。
(えっ?え〜っ?)
と戸惑っていると、
「そこまでだ。」
と王太子カイトの声がした。
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