きみの雫で潤して

第44話 見えない山頂への挑戦

隣にいる湊人の息が荒い。
酸素濃度が低い。
風はものすごく冷たい。

キャンプグッズが売っているお店で
山ガールと称した
ウインドブレーカーを着ていても、寒い。

今日は白杖じゃないトレッキングポールというステッキを使って山を登っている。

初心者でも登れる
岩手県にある八幡平にやってきた。

本当は富士山を目指したいと湊人は
言っていたが、杏菜のことも考えて、
比較的山登りできそうなところを選んだ。

そうは言っても山だ。
段差はもちろん坂道はある。
当たり前だ。

都会暮らしで運動不足ということもある。

目が見えなくなって、動くのは最低限。
湊人よりも息があがりやすくなっている。

「ゆっくり、休み休み行こう。
 頂上に着いたら、
 おにぎりたくさん食べよう。
 リュックに入れてきたから。」

湊人は、目の見えない杏菜を配慮しながら、
無我夢中で山を登る。

木々の揺れ動く葉の掠れる音、
川のせせらぎ、小鳥のさえずり、
通りすがりの高齢者の登山者に
声をかけられて、
初対面だというのに応援される。

杏菜は、息をはぁはぁしながら、
気持ちはほっこりした。

カツンと岩にあたる。

こんなに山を登るのって大変だったのかと
思い知らされる。

ちょっと前までの杏菜はいかに楽をして
生きていくかを考えることが多かった。

今は、どうすればこの山の頂上に
向かうことができるかしか見ていない。

家の中にいたら、将来に悲観して
生きていくのも嫌になっていく。

点字本なんて内容も想像のものでしかない。

体を動かして、何かにこんなにも
熱中することを今まであっただろうか。

山なんて、山登りなんて
面倒くさいという気持ちは
杏菜の頭の中から消え去っていた。

案外現場に来てみれば、
やる気がみなぎるものだ。

特に山を登ったからって
ご褒美があるわけじゃない。
お金が降ってくるわけじゃない。
ただただ、必死で山の頂上を目指している。

気持ちは山の頂上。

生きてる理由はそれだけでも十分。

何かをしたい。どこかに行きたい。
そういう気持ちを取り戻した気がした。

いつも以上の汗をかく。
匂いなんて気にしない。
汗とともに行動している。

湊人の息も荒くなっている。

「あとちょっとだぞ。」

 湊人はあと数十メートルのところで声をかけて誘導するが、あと少しのところで足が震える。前に進めなくなった。筋肉痛だろうか、膝に気合いを入れて、動かそうにも動かない。


「よっしゃー!!ここが頂上だ。」

湊人は杏菜よりも
先に山頂標識に手をかけた。

「達成感!!」

「う…。」

 動かなかった足が、
 湊人の声ひとつでやる気がみなぎった。
 気合いを入れて、湊人の手の上に
 自分の手を置いた。

「やったな。ここが頂上だ。」

 杏菜は満足したようで
 汗をかいて喜んでいた。
 久しぶりに顔が緩んでいるのを見た。

 同じように一緒に登っていた登山者も
 近くでバンザイして喜んでいるのが
 聞こえた。どんな人も頂上に着いたと
 いうだけで歓喜の声だ。

 山の頂上で感じる
 太陽の温かさ。
 風の冷たさ。
 励まし合う人の優しさを感じた。

 なぜか生きていてよかったと
 さえ思った。


 
◻︎◻︎◻︎


「おはようございます。」

 湊人は何ヶ月ぶりに堀口教授のいる
 大学の研究室に来ていた。
 堀口先生を中心にたくさんの生徒と
 教授が集まっていた。

「お、おはよう〜〜〜〜!!!
 待っていたよ、一ノ瀬くん。
 やっと来てくれたんだね。
 本当にいろんな会社から
 注文殺到しているからここから
 どう進めようと企画会議していた
 ところだよ。
 君がいないと全然進まないから!!
 …と、横にいるのは、彼女かな??」
 
 デスクの方から小走りで駆けつけた堀口教授は湊人の肩に触れ、ずずいと顔を近づけた。横には、見慣れない女の子が立っていた。手には白杖を持っている。

「長い間、お休みいただきまして、
 ありがとうございます。
 申し訳ありません。
 やっとこちらに出向くことが
 できましたよ。
 えっと、彼女は視覚障害者で
 治験にちょうど良いかなと
 連れてきました。
 ほら、挨拶して。」

「はじめまして、笹山 杏菜と言います。
 よろしくお願いします。」

 少し声を震わせて、挨拶した。
 緊張感が半端なかった。
 堀口教授はじっと見つめて、
 ジリジリと湊人の横に近づく。

「例の子でしょう?
 目が見えるようにしたいって
 言ってた子。
 かなり可愛いじゃない。
 一ノ瀬くんにはもったいないなぁ。」

「いや、その…確かに目を見えるようには
 したいと思っていますが…。
 彼女では…。」

 途中まで言いかけて、
 湊人は教授にバシバシ背中を叩かれた。

「もう、モテるねぇ。
 君は本当に。羨ましいよ。」

 その言葉に言い訳するのも面倒になった
 湊人はため息をついてそのまま会議に
 出席した。

(彼女じゃないって 
 前から言ってるんのにな!)

「えー、一ノ瀬くんが戻ってきてくれたと
 いうことで、これからはスムーズに
 商品の改良を進めていけそうです。
 まずはSEE GLASSをどこまで
 進化させるかだけど…、
 一ノ瀬くん何か意見を聞かせて
 もらえるかな。」

「はい。先日、教授からメールで
 頂いた資料を拝見しました。
 モニター様に利用していただいて
 アンケートをまとめた内容を
 確認しました。
 やはり、初期モデルでは
 商品の重量が重すぎることと、
 日常的には使いづらくロボットに
 なってしまうというご指摘
 いただきました。
 確かに見えるようになっているので
 尚更ずっと見ていることが
 望ましいと思います。
 今の状態はVRゲームしてるなら
 なんら問題ないですが、
 やはりこれはサングラスや
 メガネなどのさらに軽量化を
 目指すべきだと考えます。
 ただ、そうなると、視神経との
 シンクロするのが
 難しくなってくるので、
 半導体の技術の進化と
 軽量化をどのようにするかが
 課題ですね。」

 資料をペラペラめくりながら、
 湊人は堀口教授をはじめ、サポートする
 同じ大学生数名とともに話し合った。
 その中には、渡辺晃太も混じっていた。

「そうだな。
 確かにあの状態では街中を歩くのも
 恥ずかしいという話だし、
 日常的に使うにはメガネのような感覚で
 ないといけないな。
 よし、株式会社TOPPAKOUさんの
 技術者さんに相談だな。」

 資料を見返して納得する。

「まぁ、それはそうと、
 今の段階ではどうか試しに
 笹山さんにつけてもらおうか。
 一ノ瀬くんが作った初期のものだ。
 まだなんでしょう?」

 堀口教授は、自然の流れで、
 ソファに腰掛けていた杏菜に
 SEE GLASSESの試着を試そうとした。

「ちょっと待ってください!」

 湊人は、杏菜にかけようとする
 堀口教授の手を止めた。
 
「ん?」

「これは俺がやりますから。
 席に座っててください、教授。」

「何、何。
 私にやってほしくないみたいな態度?
 手柄取っちゃうよってこと?」

「そういうわけじゃなくてですね。
 杏菜は、人見知りですし、
 びっくりしちゃうかもしれない
 じゃないですか。」

(私って人見知りだったっけ。
 いや、別に普通に話せるけど?
 なんでそんなこと言うんだろ。)


 近くで聞いていた杏菜は、
 疑問しかなかった。
 登山をしてからというもの
 だんだんと日常生活を取り戻してきた。
 いくらかは、社会との接触は
 ここだけじゃない普通に
 視覚障害者情報施設の
 【ブルーベリー】にも通っている。
 何をどう思ってそういうのか不思議で
 しかたない。

 慌てて、教授からSEEGLASSESの機械を
 受け取った。深呼吸をして、杏菜の前に
 しゃがんで、慎重に顔に装着させた。

 杏菜が、目が見えなくなって、
 1年経とうとしている。

 瞼をそっと開けた。

 急に入り込む眩しいという脳への情報が
 かなりびっくりしている。

 一瞬、また目を瞑ったが、
 目の前にいる湊人の顔をじっと見つめた。

 目を凝らすことなく、
 真っ黒の髪型のスーツを着用した
 ごくごく普通の青年がいることに
 逆に目を疑った。
 これは誰だと、慌てて、外した。
 しっかりSEEGLAEESEをつけて
 見えている。

「…見えた?」

「……。」

 見たくなかった。
 まだ早かった。
 呼吸が荒くなる。
 金髪よりも湊人の顔は
 ものすごくかっこよかったのだ。
 
 杏菜は恥ずかしくなって、
 そっぽを向いて、首をブンブン振った。
 久しぶりに見えたことに
 感動しているはずなのに
 心臓が耐えられなかった。

「え…杏菜、見えてないのか。
 おかしいなぁ。充電ないのかな。
 晃太、充電器知らないか?」

 機械のスイッチをぽちぽちといじって
 確かめた。

「…え? 
 さっきフル充電したばっかりだぞ。」

「嘘だろ。
 杏菜、せっかくつけて見えるように
 なったと思ったんだけどな。
 感動の世界みたいになると
 思ったんだけどなぁ。失敗だな。
 んで、教授、次の商品は
 いつ試作品できるんですか?」

「気が早いな。湊人くん。
 まだ3ヶ月はかかるよ。」

「そうなんですね。
 仕方ない。
 新作ができるまで待つとするか。」

 湊人は今は無理だと諦めていた。
 ひとしきり会議を終えて、
 研究室の外に出た。
 杏菜は心臓はかなりの速さで
 動いていた。

(しばらくはいい。
 絶対見えなくてもいい。
 たぶん、耐えられないかも。)

 あまりのかっこよさに
 そばにいるのも意識してしまうほどだ。

 杏菜は湊人から少し離れて歩いていた。

 湊人から手を繋ごうとしたらそれさえも
 避けていた。その行動に不思議に感じた。
< 44 / 54 >

この作品をシェア

pagetop