いたちごっこ
「なるほど。そうやってやればいいんですね」
「あぁ」
大人しく受け入れたのをいいことに野菊ちゃんは隣に来て、俺にピッタリくっついてきた。何かこの女……変。ただのドジっ子の割には違和感がありまくりで内心モヤモヤ。しかし、見ているだけなら何もぶっ壊される心配もないので渋々教える。
俺の対応が気になったのか双葉がチラチラこっちを見てきたが、そこはもうスルーだ。これ以上、この子に愛想良く振る舞えって言われても無理だぞ。俺は神様じゃねぇ。むしろ短気な方だし。そう思いながらも極力親切に教えてやった。さっさと仕事を覚えろって念を込めて。態度は少し悪かったかも知れないけど、そこはもう許せって感じだ。
「ごめん、皐月。代わるよ」
そうこうしているうちに双葉が花瓶の片付けを終えて傍に寄ってきた。苛立ちがピークにきていただけに、救世主に見える。
「えぇ…、代わっちゃうんですか?」
「うん。皐月は他にやらなきゃイケないこともあるだろうし」
「そんな〜」
しかし、交代を申し出た双葉に野菊ちゃんが残念そうに口を尖らせる。それも色々と言い訳を述べて凄い渋りようだ。別に誰が教えようが一緒だろうに。いったい双葉に教えて貰うことの何がそんなに不満なのかわかんねぇ。
でもな……。確かに双葉に教えさせたら野菊ちゃんに作業をやらせそうで、そこは少しばかり不安。だって、そうなったらまた店のお菓子をダメにされるだろ。これ以上、在庫を削られたらさすがに厳しい。絶対に足りなくなる。だったら俺が教えた方がいいか。
「野菊ちゃん……」
「あー、いいわ。俺が教えるから」
「え、でも」
「いいから向こう行ってろ。お前は他にやることがあるだろ」
微妙な顔をする双葉の目を見てキッパリとした口調で言った。野菊ちゃんにやらせたら全滅させられる未来しか見えないし。双葉は他にもやることを沢山抱えているはず。そもそも双葉の手伝いをするために店の方に出てきたんだしな。こっちとしては気を使ったつもり。
「……あっそ」
だが、双葉はそれが気に入らなかったらしい。ムッとした顔を浮かべると真ん丸な目で俺を睨んできた。かと思ったらレジの方に引っ込み、物凄く居心地が悪そうに俯き出す。
おいおい、何だよ。その顔……。まさか俺が邪魔扱いしたとか思ってんじゃねぇだろうな?思ってもみなかった反応に声も出せずに素直にビビる。無言のまま、ひたすらガン見。
「双葉さん。ちょっといいです?」
呆然としてたら筒地が店に出てきて双葉に話し掛けた。双葉のやつ、途端に顔を上げて笑顔を振り向いている。だから対応の差!腹が立つ。そりゃ一従業員への態度としては百点満点なのかも知れないけど、俺に向ける顔とはギャップがありすぎて複雑だ。筒地も筒地で、いつも作業場で話しているときよりも穏やかな口調で話し掛けている。
そう言えば、双葉が過去に付き合ってた男も似た感じの雰囲気をしてたな。どことなく物腰の柔らかい、爽やかな男。俺と結婚する前に付き合ってた男もそう。優しくて背が高かった。時々、店にやってきては、こうやって双葉に優しく笑い掛けてたっけ。
もしかして実はそういうのに弱いとか?だったら俺もそうやって優しくすりゃ、同じような笑顔を向けられるんだろうか。帰ったら試そうか……とまで考える。
大体、双葉はわかってない。いったい俺が何のために必死こいて毎日ここまで頑張っているのか。全部が全部、お前と一緒に居るためだろ。双葉が店を継ぐって言うから俺だって跡継ぎになるために真剣なんだし。半端もんに店はやらんって親父さんが言うから、一人前って認めて貰いたくて頑張ってんだよ。こっちは。
そりゃ好きかと聞かれたら正直わかんなかったよ。結婚するまでは。俺はただ、お前が俺の作ったお菓子を食べて笑ってくれてりゃそれで良かった。だけど、それを永遠にしたいと思ったらお前の隣に立つしかなくて。だったら、まぁ、別に結婚って形にしてもいいかなと思ったわけで。思い切って言ってみれば、意外と満更でもない顔で頷いたから、ああ、じゃあ、大切にしねーとな。と思った。
そう思ったら、すげぇしっくりきている自分がいて。こいつと結婚するのかと思ったら、ずっと感じてた双葉に対するモヤモヤが消えてスッキリした。
愛情は紛れもなく傍にある。ハッキリと目に見えないだけで。毎日、日常のどこかで愛しさを感じてる。ただその胸の内を本人に伝える機会がないだけ。いきなり『好きだ』と言われたって双葉も返答に困るだろうし。『だからどうした』となりそうだ。
双葉は別に好きで俺と結婚したわけじゃないしな。それこそ一緒に店を継ぐなら俺がいいってホントそんだけで。言うて長年の付き合いだ。何より店を一番に考えていることくらいわかってる。だから、お前の気持ちが俺に向くまで夫婦らしいことはせずに待つって心に決めてんだよ。そういうのは義務みたいにするんじゃなくて愛情を持ってした方がいいと思うから。
そこのところはまだいい。時間さえ作れば多少はどうにかなるだろうから。けど、仕事に関してだけは気が抜けない。だってお前、他に好きな男が出来たとして、その男が俺より仕事が出来たとしたら、迷わずそっちに行くだろ。それがただの恋愛感情だけだったら、まだ見て見ぬ振りをして終わらせるかも知れない。でも、店が絡めば別。むしろ恋愛感情なんかなくったって店に取ってそれがいいと思えば、そっちを選ぶ。
そこんところは絶対だ。こいつはあの祖母さんの孫なだけあって意外と偏った考えを持ってる。そうやって他の男と別れてきたのを傍でいつも見てたし。付き合った傍から別れる算段をしている女なんて、俺の知る限りお前くらいだ。
だからこそ、愛想を尽かされないように毎日真剣に頑張ってる。まぁ、スタートがどうであれ、ちゃんと愛情を育てれば本物だしな。気持ちが追いつくまで待ってやろうと思ってる。なのに。
「あ、そうだ。これ食べて」
「わー、いいの?」
他の男にヘラヘラ笑ってんじゃねぇ。しかも出されたお菓子をすんなり食べるな。そこは俺の役目だろ。