いたちごっこ


 「……えーっと。どう?お店には慣れてきた?」


 何だか黙って歩くのも忍びなくて、当たり障りのない会話を私からもしてみる。お父さんから“仲良くしろ”と言われたからってわけじゃないけど、お店で働いている以上は仲間だし。愛想悪く振る舞うのは何か違う気がして。


 「はい。おかげさまで」


 それに応える筒地君の言葉は簡易的なモノだった。普段、作業場にいるときは、もっと華やかに話しているのを思うと、緊張しているのは筒地君も同じなのだろう。でも、やけに声が弾んでる。足取りも軽いし。


 「何だか楽しそうだね」

 「そりゃ楽しいですよ。毎日、お菓子作りに専念できますし」

 「そっか。筒地君もお菓子作りが好きなんだね」

 「はい。だから店を移って良かったって毎日、実感してます」

 「そう。それは良かった」


 それと今、機嫌がいいことの何が関係あるのかは謎だが、筒地君は私に返事をしつつ、鼻歌でも歌い出しそうな足取りで歩いていく。

 時たま、常連のお客さんに声を掛けられたりなんかして、すっかりうちの店の従業員として馴染んでいるようだ。それを見ていたら何だか悪い気はしない。お店の一員って感じがして。


 「ねぇ、筒地君。本当に皐月と勝負するの?」


 だからか、ついつい気になっていたことをストレートに聞いてしまった。しくった……、と思ったけど、筒地君は笑顔を絶やさないまま。曇りなく笑っちゃって、気まずい空気にはなりそうもない。


 「勿論しますよ」

 「やっぱり自分のお店を持ちたいから?」

 「いえ。正直なところ、店を持つことに興味はないです」

 「え、ないの?」

 「はい。僕はただ、女将さんに恩を返したくて店に来ただけなんで」


 堪らず顔を覗き込んだ私に、筒地君は顔色1つ変えることもなくサラリと答えた。思ってもみなかった返答に驚いて足を止める。そんな私を見て、筒地君は少し困ったように眉尻を下げた。これは、ここだけの話にしてくださいね、って。


 「実は僕、前の店で色々ありまして」

 「あ、うん。確か……、人間関係がちょっとゴタついてたんだよね?」

 「そうです。作ったお菓子を廃棄されたり、別の物に入れ替えられたり、片付けを全部押し付けられたり、結構酷かったんです」

 「げっ」

 「そこへ雑誌やテレビの仕事も次々と入れられて。1人で永遠と朝まで商品を作らされたりもして」

 「うわぁ……」

 「それで疲れていたところに女将さんがやって来て、早速と手を差し伸べてくれたんですよ」

 「うちの店においで、って……?」

 「はい。今の店が嫌なら、うちの店に来ればいいって」


 そう言って筒地君は微笑むと、当時のお祖母ちゃんを思い出すように目を細めた。

 前の店で色々あったとは聞いていたけど、思っていた以上に悲惨な話だ。というか“お菓子作りに専念が出来て楽しい”なんて当たり前のことを有難ありがたがる時点で、過酷な環境にいたのは言うまでもない。

 厳しくはあれど、いつも和気あいあいと作業している、うちの店を思い出せば、そう思う。


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