いたちごっこ
「そのとき女将さんに言われた“作る気さえあればドコでも作れるだろう”って言葉が、当時の僕にとっては結構、衝撃で」
「えー、どうしてよ?」
「だって違う店に移るって概念がなかったんですよ。そこの店を辞めたら職人として終わり。2度とお菓子作りは出来ないと思ってましたから」
そうやって前の店では育てられた、だから店を代わるって選択肢があることに驚いた、と筒地君は思い出すように語る。
当時の筒地君は限界ギリギリで、店を辞めたい気持ちと菓子職人を続けたい気持ちで毎日、悩んでいたらしい。それを救ってくれたのが、お祖母ちゃんだったのだ。
「だからね、本音を言えば店を継ぐことに興味はないんですよ」
「じゃあ、どうして皐月と勝負をするの?」
「そりゃ、生涯あの店に勤めたいと思っているからです」
「雪月風花に?」
「はい」
コクリと頷き、筒地君はボケっとしていた私を置いて、再び佐藤さん家に向かって歩き出す。そんな筒地君の背中を慌てて追う。
筒地君の気持ちはわかったけど、頭の中は疑問符でいっぱいだ。2号店の話に乗り気だと聞いていたのに、本人からは全然違う答えが返ってきて。
「それなら勝負なんかしなくても良くない?」
「ダメですよ。その為には皐月さんに実力を認めて貰わないとイケないんで」
「どうして皐月?」
「だって将来のオーナーはあの人でしょう?」
「ま、まぁ、そうだけど……」
「だから勝ちたいんですよね。勝てば僕の実力を認めざるを得ないんで」
そう言って筒地君は唇に優しく弧を描いた。勝気なことを言っているわりには、清々しいくらいの爽やかな笑顔だ。勝負が楽しみでしょうがない、と思っていそうな。
「それって……つまり、筒地君は皐月を跡継ぎとして認めてるってこと?」
「当たり前じゃないですか」
「そっ、か」
「皐月さんの店を思う気持ちは本物です。僕じゃ勝てません」
あの人は本当に凄い人です!と筒地君はやり過ぎなくらい皐月のことをベタ褒めする。天才、と言われている筒地君が。瞳の中に尊敬の色を滲ませて。
なんだ……。筒地君は別に2号店を継ぎたかったわけじゃなかったのか。それどころか皐月を跡継ぎとして認めてる。将来、自分を雇うオーナーは皐月だって自信満々に。
だったら心配いらないや。お祖父ちゃんとお祖母ちゃんが勝手に2人で盛り上がってるだけだし。放って置いても……って、全然良くないか。私達がどう思っていても決定権はあの2人にあるし。
お祖母ちゃんはさて置き、問題なのはお祖父ちゃんだ。ここで油断して手を抜こうものなら絶対に許してくれないだろう。本気で跡継ぎを筒地君に変えてしまうに違いない。
だって出来栄えがどうというより、どれだけ本気でお菓子作りに取り組んでいるのか見たい、っていうのがお祖父ちゃんの本音だろうから。一応、孫だし、その考えで合ってる自信はある。