いたちごっこ
そこについての不満はまったくない。日々、職人として腕を上げていく皐月を見ていると、やっぱりこの人を選んで良かったな、と思う。
ただし、私達が夫婦として成り立っているかと聞かれれば怪しいところだ。だって毎日帰りは遅いし、朝は早い。休みも少ないし、まともに話せるのは寝る前の、ほんの数時間だけ。ほぼ、すれ違い生活。
一緒に住んで一緒の職場で働いているのに、何故だか他人よりも距離が遠い。まるで、見えない壁に阻まれているかのよう。
おまけに言い合いも多いし、喧嘩はしょっちゅう。夫婦らしいことは未だ何一つしていない。
こんな状態で子供を持つ日はいつか来るんだろうか……。私の方はそれなりに欲しいと思っているけど、皐月はそうじゃないんだろう。待てど暮らせど『仕込みがあるから』と、一人でさっさと寝てしまう。もちろん寝室は別。鍵なんて閉まってないのに一度も開いてくれやしない。
「ちょっと、ねぇ、双葉ちゃん!聞いてよ〜。大ニュースよ、大ニュース」
持ってきたお菓子を並べて考え込んでいたら、出勤してきたお祖母ちゃんが私のところへ飛んできた。焦った顔で「本当に信じられないの〜」と、レジの周りを行ったり来たり。ソワソワしちゃってらしくもない。いつも何があろうと堂々と構えているお祖母ちゃんの姿は、いったいドコに行ったのか……。傍にいたお母さんが「とにかく落ち着きなよ」と、足を止めさせる。
「何?どうしたの?」
「それがね〜。実はさっき、お隣の奥さんから聞いて知ったのだけど。お向かいの呉服屋さんのご亭主、雇っていたバイトの女の子と不倫していたんですって……!」
「えー、お向かいの旦那さんが?」
「それが奥さんにバレて大騒動。離婚だの慰謝料だのって大変らしいのよ」
「そ、そうなんだ……」
いきなり繰り出された他人様のお宅事情に、どう返せばいいかわからず、たじろぐ。
呉服屋のご亭主が……。確かあそこの夫婦といえば、仲睦まじいおしどり夫婦として近所でも評判だった。外に出れば手を繋いで歩いていたし、店に行けばピッタリと寄り添っていたし、持ち物も全てペアで揃えて、とにかくラブラブ。娘さんたちが結婚して出ていったときだって『新婚に戻った気分〜』なんて明るく言って、皆で笑い合っていたのに。信じられない。
「あら、やだ。本当に?」
傍で聞いていたお母さんも思う気持ちは私やお祖母ちゃんと一緒だったみたいで、丸っこい肩を更に丸めてコッチにきた。大げさなくらい眉尻を下げて、自分のことのようにショックを受けている。