黒を以て白を制す
「ふざけんな!誰に向かって口利いてんだ。偉そうに。謝れ!」
社員Aさんがヒステリックに叫ぶ。イライラと凄い形相で。謝れって本当にして欲しいのはそれじゃないくせに。
ずっとやって来たから彼女がどうして欲しいかくらい分かる。今まで通り敬って欲しいんだ。ペコペコされたいんだと思う。だけど、もう相手の望みを受け入れるのは自分のことを好いてくれてる人間にしかしないと決めた。
好いてくれてるなら多少の我儘を言われたって構わない。好きが大前提の“こうして欲しい~”はお願いであり要望、その先には未来がある。笑顔になれるならいい。
しかし、嫌いな上での“こうして欲しい”に未来などない。命令であり、強要。どんどん図々しくなっていき、あまつ最後には『はぁ?なんで言うことを聞かないの?』とスーパー上から目線でキレられる。
そこで甘やかして受け入れてたのが今までの私。バカにされたって許して怒らず相手の意見を聞いてた。自分を嫌ってるやつの言うことなんか聞いたって仕方ないのに。
1つ気にくわなきゃ“言うことを聞かないお前が悪い”になるのだ。『あいつ言うことを聞かないの、ほんと酷いの』なんて言われて、辛く当たられ悪者になる。私が悪役にされてきた原因の1つだ。
「え、何…。安久谷のやつ、どうした……?」
「分かんない」
他の社員が我に返ったのか周りでコソコソと言い出す。普段やられっぱなしの私がぶちギレてる姿はさすがにインパクトが強かったらしい。皆、困惑してる。
一緒になって罵倒してくるかと思ってたけど、今のところは全くだ。ただの傍観者。腹立たしさより驚きの方が勝ってる状況。
「そちらの件についてですが……」
伊那君と今城さんだけは事情を知ってるから平然とした顔で仕事をしている。伊那君は離れた場所で電話対応を、今城さんは私が頼んだ書類を作成中だ。
ちなみに社長には許可を貰ってる。伊那君が私たちの話を聞いて社長に話を通してくれたから。聞いて直ぐ『こういう事情で社内が少し荒れると思いますが許してください』と私を連れて社長に許しを請いに行った伊那君はやはり遣り手だ。
おまけに交換材料とでも言わんばかりに、頷かすのは絶望的と社長が頭を抱えて唸ってた鬼気難しい会社との取引を成立させてきた。しかも、こちらに取ってめちゃくちゃ好条件。予定していたよりも遥かに上。社長もついつい椅子から立ち上がって『信じられん……』とデスクにあった眼鏡を掛けながらもう1度書類を確認し出すレベル。
そこで透すかさず『許可して頂けますか?』と笑顔で聞いた伊那君は恐ろしい子。ついでに『許可して頂けたら、社長が取るのを諦めてた例の案件、頑張ってみようかなと思ってるんですが』と言った伊那君は最強。そして、その例の案件は既に成立したのも同然なところまで持っててる伊那君は無敵だ。
恐るべし。伊那君。お堅い社長にあんな笑顔で『うん、うん。いいよ、いいよ。やっちゃって。伊那が言うなら許す~。頑張ってね』とテンション高く言わすことが出来るのは伊那君だけだ。
本当にいいのか、社長。と隣で少し拍子抜けしたもんである。