黒を以て白を制す
「ごめん。遅くなって」
「あ、伊那君~っ!」
後ろの悪口シスターズの望みを叶えてやるべく、遅れてやってきた伊那君の元へ飛んでいく。しかも自分のグラスを手に持って、空いていた場所にささっと伊那君を誘導し、ちゃっかり隣の席までキープした。
左隣は社員Bさん。狙ったわけじゃないけど、悪口シスターズからしたらわざとに見えたんだろう。両手にうさぎかよ……ってイライラしているのが見ただけで手に取るように分かる。
「お疲れ様~。伊那君」
「お疲れ」
「会いたかった~」
「うん。俺も」
絡まれた側の伊那君はいつもと全然違うテンションの私に半笑いだ。やってんな、こいつ。と思っていそう。
正直、自分でもやってて恥ずかしい。全然別の人みたいで。だって普段は一緒に飲みに行っても、お互い会社で過ごしているときと何も変わらない。伊那君の家に居るときだってそう。
普通も普通。全然普通。もうそれこそ、伊那君が接待に出てる日とお互いが友達と会ってる日以外は、毎日のように伊那君の家に行ってるけど、何もない。
この間の日曜日なんて朝から晩まで一緒だった。映画を見に行くだけのつもりが、ついつい話が盛り上がり、ショッピングにカラオケと夜までずるずる長引いて、最後は家にまで寄って帰ってきちゃった感じ。
それでも伊那君は私に指一本触れてこなかったし、私も指一本触れてない。お互い態度も変わらない。どれだけ2人っきりで一緒に時間を過ごそうが健全な同僚の関係のまま。
それは伊那君が紳士であると同時に私が淑女でないと成り立たないのに、悪口シスターズときたら人を男好き男好きとハンター扱いして。まったく失礼な人達だ。真のハンターならとっくに食してるというのに。
むしろ、撃ち方を教えてくれよ!とすら思う。毎日のように会って、警戒心なんてまるで取っ払ってるのに、伊那君は一瞬たりとも揺れることがなく毎日紳士のままだ。
少しくらい悪さをしてきたっていいのでは……と思うけど、全くもってそんな素振りもない。それとも私に魅力が無さすぎるんだろうか。だから何も変わらない?そうか。私に全く魅力がない所為かも知れない。