黒を以て白を制す


 そうだ。破棄の判の存在を忘れてた。『押さずに破棄は厳禁』の規則は会社で最も重要なものである。知らないはずがない。


 萌のやつ……。伊那君が言ってた通り本当に早とちりだったんじゃない?私が部長の机を指差してるのを見て『 “破棄” の判を押してシュレッダーに掛けといて』と頼まれたと思ったのかも知れない。

 確かに萌は話半ばで返事をする時が多々あるし。


 「ちなみにどの資料です?」

 「明日、取引先に持っていく青色の」

 「あー、あれですか」


 カチカチとパソコンのキーボードを叩く伊那君。悲壮感たっぷりに黙り混む私と、絶望感に打ちひしがれた暗い表情で哀愁を漂わす部長。

 3人の中に沈黙が流れる。


 誤解は解けたみたいだが、資料は戻って来ない。

 これはもう完徹で作り直すしかないな。間に合えばいいけど……と思った瞬間、伊那君が笑顔でパソコンの画面をこちらに向けた。



 「それなら大丈夫ですよ。データが残ってますから」

 「本当かね!?」

 「はい。別の案件の資料作りに必要だったもんで。個人的に貰ってたんです」


 跳び上がるように立った部長に席を譲り、伊那君は画面を見ながら小さく微笑む。

 残ってた?データが?


 「う、嘘…?」


 信じられない気持ちで部長の横から画面を覗き込む。すると、伊那君が私の背中を元気付けるようにポンっと叩いて笑った。

 天の助けとは(まさ)にこの事。


 さすが、【社内好感度ランキング1位】【営業成績ランキング1位】【顧客満足度ランキング1位】の爽やか三冠王だ。トラブル解消のスキルまで高い。


 社長が「伊那だけは手放したくない。他社には絶対引き抜せんぞ。何処にもやらん。なんなら婿に来てくれ!頼む。息子しかいないけど……」と大真面目な顔で言ってた気持ちがよく分かる。


 私も婿に欲しい。いや、無理か。だったらこの際、息子でもいい。伊那君の方が1歳年下だけど。



< 7 / 12 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop