黒を以て白を制す
そうだ。破棄の判の存在を忘れてた。『押さずに破棄は厳禁』の規則は会社で最も重要なものである。知らないはずがない。
萌のやつ……。伊那君が言ってた通り本当に早とちりだったんじゃない?私が部長の机を指差してるのを見て『 “破棄” の判を押してシュレッダーに掛けといて』と頼まれたと思ったのかも知れない。
確かに萌は話半ばで返事をする時が多々あるし。
「ちなみにどの資料です?」
「明日、取引先に持っていく青色の」
「あー、あれですか」
カチカチとパソコンのキーボードを叩く伊那君。悲壮感たっぷりに黙り混む私と、絶望感に打ちひしがれた暗い表情で哀愁を漂わす部長。
3人の中に沈黙が流れる。
誤解は解けたみたいだが、資料は戻って来ない。
これはもう完徹で作り直すしかないな。間に合えばいいけど……と思った瞬間、伊那君が笑顔でパソコンの画面をこちらに向けた。
「それなら大丈夫ですよ。データが残ってますから」
「本当かね!?」
「はい。別の案件の資料作りに必要だったもんで。個人的に貰ってたんです」
跳び上がるように立った部長に席を譲り、伊那君は画面を見ながら小さく微笑む。
残ってた?データが?
「う、嘘…?」
信じられない気持ちで部長の横から画面を覗き込む。すると、伊那君が私の背中を元気付けるようにポンっと叩いて笑った。
天の助けとは正にこの事。
さすが、【社内好感度ランキング1位】【営業成績ランキング1位】【顧客満足度ランキング1位】の爽やか三冠王だ。トラブル解消のスキルまで高い。
社長が「伊那だけは手放したくない。他社には絶対引き抜せんぞ。何処にもやらん。なんなら婿に来てくれ!頼む。息子しかいないけど……」と大真面目な顔で言ってた気持ちがよく分かる。
私も婿に欲しい。いや、無理か。だったらこの際、息子でもいい。伊那君の方が1歳年下だけど。