こんな雨の中で、立ち止まったまま君は

 視線を彼女から逸らして何気なく部屋を見渡すと、

 机の上に置かれた茶色のシステム手帳に目がいった。

 手帳の隙間から、紙切れのようなものが覗いている。


 姿勢を正して眺めてみると、それはどうやら写真のようだった。

 背景に、ピンク色の景色が見えている。


 俺は立ち上がり、好奇心からその手帳を手に取った。

 写真をそっと引き抜くと、

 そこには小川さんと、見知らぬ男性が写っていた。


 飯島さんでは無かった。

 彼のように細い目ではなく、どちらかといえば大きな目を半月型に細めて笑っている。

 優しそうな感じのする、甘めの顔つきだ。


 隣りに寄り添う小川さんは、今よりも少し若く見える。

 男性と同じように微笑んでいるのだが、

 その笑顔は今日動物園で見たものと同じ、明るくて、無邪気なものだった。


 二人の後ろには見事なまでの桜の花びらが舞っていた。

 桜と、少しの青空だけの背景の前で、

 小川さんと男性は、写真を通してでも分かるくらい満ち足りた表情を浮かべている。


 写真を裏返すと、黒のインクで文字が記されていた。



“和也&美咲 07.4/2”



 和也…とは、この男性のことだろう。

 そして「美咲」というのは、小川さんの名前だ。


 俺はそこで初めて小川さんの名前を知った。

 数週間の間でそれなりの回数を会っていたのに。


 分かったような気になっていたけれど、

 俺はまだまだ彼女について何も知らないのだ。



 もう一度写真の二人を眺めた。

 眺めているだけで、俺の頭の中は何も考えられなかった。


 ただ、俺が今日初めて見た日中の小川さんの笑顔が、

 心の底から本気で微笑んでいるその表情が、

 この写真の中にあることに、何故だか胸が締め付けられた。



 写真を手帳に戻し、机の上に置いた。

 ソファに振り返る。

 小川さんはさっきと変わらず静かに眠っている。




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