こんな雨の中で、立ち止まったまま君は

「奈巳と付き合うことにしたんです。だけど、最近会ってないんです」


 言葉の変わりにオヤジさんは小さく頷いた。

 視線はのれんを見たままだ。


「他に好きな人がいて。他って言っても、奈巳のことが本気で好きだったわけじゃないんです。最初からたぶん、その人が好きだった。なのに俺は奈巳と……」


 小川さんのところに毎日通うようになってから、当然だけれど奈巳には全く会っていなかった。

 それどころか連絡さえもしていない。

 時々奈巳からくるメールには返信をしていたけれど、約束を取り付けるような内容のものには用事があると流していた。

 もちろん罪悪感はあった。

 けれど、どうしたらいいのかが分からなかった。


「はっきり言って、これからどうすればいいのか分からない。だけどその人のことが本当に好きなんです」


 ジョッキに張り付いた水滴が静かにカウンターに下りていく。

 中で揺らいでいた細かい泡は、もうすっかり消えていた。


 オヤジさんはまだのれんを見つめたままだった。

 コミヤが打つレジの前を、ひとり、またひとりと客が帰っていく。


「奈巳って言ったか? その子」


 ふいにオヤジさんが声を出した。

 ゆっくりと俺に向けられた顔には、光に照らされた皺がくっきりと浮かび上がっている。


「その子は何も知らないんだろ? お前と最近会えなくなったことだけを話していたからな。心配してたぞ、お前に何かあったのかって」

「……」

「風邪をひいたんだろうかとか、具合が悪いんだろうかとか」

「……」

「電話の声も暗いし、メールも元気がないって。自分のことじゃなく、お前の心配をだ」

「……」


 何も言えなかった。

 俺は何て最低なヤツなんだろう。

 そう思うと、情けなさで一杯になった。



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