こんな雨の中で、立ち止まったまま君は

 小川さんが出ていったあとの病室のドアをしばらく眺めてから再び奈巳へ向き直った。

 奈巳もまた、じっと扉の方向を見つめていた。


「あの人?」


 声を出した奈巳が俺を見上げる。


「え?」

「あの人が、淳の忘れられないって言ってた人?」

「……ああ」

「そっか」


 また弱弱しい笑顔を作った奈巳は、少しだけ目を伏せた。


「……奈巳、ごめん」


 何度謝れば足りるのだろう。

 でも、謝るより他に、俺にはどうしようも出来ない。


「ごめん。本当に」

「……淳が謝ることじゃないって。もういいって言ったでしょ? あたし」

「奈巳……」

「勝手に倒れたのはあたしだし。淳はもう気にしなくていいんだよ」

「……」

「それに……、すごく美人だね、今の人。これで諦めついた」


 うんうん、と頷いた奈巳は、一呼吸おいた。

 そして、


「ごめんね、あたし、ちょっと寝たいんだ」

「あ、ああ……」

「もうすぐ消灯時間だし。他の人にも迷惑かかっちゃうから」

「……うん」


 ゆっくりと身体を横たえていく奈巳を、圭吾がしっかりと支えている。

 俺はそんな2人を残して、病室を出た。


 エレベーターの中で、奈巳に別れを告げた日のことを思い出していた。

 一方的な俺の気持ちに付き合って、すんなりと別れを受け入れてくれたこと、

 涙を流しながらも、俺を許してくれたこと、

 そして今だって……、病室のベッドの上にいながらあんな笑顔を向けられること。


 奈巳は強い。そう思っていた。


 けれど。

 それは強さじゃない。優しさなのだ。

 
 あの痩せ細ってしまった姿こそ、奈巳の本当の姿だったんだ。

 本当の気持ちだったんだ。


 強い人間なんていない。

 一人になったエレベーターの中で俺は、そう思い知らされていた。



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