こんな雨の中で、立ち止まったまま君は
1階のロビーの椅子に小川さんは腰かけていた。
非常灯の明かりだけが彼女を暗がりに照らし出している。
俺の足音に顔を上げた小川さんは静かに立ち上がった。
「もう、いいの?」
「……はい」
「そう。じゃ……帰ろうか」
タクシーを呼び、無言のまま俺のアパートに着いた。
部屋の明かりをつけてからも会話はなかった。
ぼんやりとソファに座ったままだった俺に、小川さんがコーヒーを淹れてくれた。
立ち昇る湯気だけを眺めながら、数分間の時間が流れた。
「藤本くん、あの子と付き合ってたの?」
小川さんの声に顔を上げる。
向かいの床のクッションに腰をかけていた小川さんは、カップを両手で挟んでどこか気づかうような表情で俺を見ていた。
「付き合っていたというか……」
俺もまた、包んでいたカップを眺めて呟いた。
「小川さんと付き合う前に……少しだけ……」
「私と付き合う前?」
声を出さずに頷く。
付き合っていたとは言えないような、俺の身勝手な行為を思い出して声がつまる。
「彼……ケイゴさん? ここに来たときに藤本くん言ったよね? 先月には別れたって」
「……はい。と言うか、俺から一方的に別れたんです。その……」
小川さんが好きでどうしようもなかったから、とは言えなかった。
カップを握り締めた手に力が入ってしまう。
テーブルの上にカップを戻す俺の様子を見ていた小川さんは、
「私のせいで別れたってことよね」
そう言って、小さなため息をついた。
細い肩が下りて、僅かに震えているようにも見えた。
「小川さんのせいなんかじゃありません」
俺は慌てて声を上げた。
「小川さんのせいとかじゃないんです。俺の問題です。全部俺が悪いんです」
身体が熱くなるのがわかる。
何を言い訳しても、奈巳がああいう状態になってしまったことには嘘はつけない。
けれど、このことで小川さんに心労を負わせてしまうことだけは避けたかった。