こんな雨の中で、立ち止まったまま君は

「やばいな。あいつ、びっくりしてるだろうな」


 急にいなくなった俺を心配してるだろう。

 店長に連絡でも入れられてたら始末が悪い。


 この後のことを考えて頭を掻いていると、
 
「藤本、さん」

 ふいに名前を呼ばれた。


 その声は横になった彼女の口から出てきたもので、

 突然のことに驚いた俺が手を止めて静止していると、


「それ」


 彼女は俺の胸を指差して微笑んだ。


「え? ああ、これ」


 彼女は俺のネームプレートを読み上げただけだった。

 どうして名前を知っているのだろうと焦った。


「仕事中だったんですか? 本当にすみません」

「あ、いえ。大丈夫です。近くですし」


 大丈夫、じゃないだろう。

 一人にしてしまった田中のことを考えると、また頭が痛くなってきた。

 振込用紙の客が来ていたらどうしよう、

 そんなことが頭に浮かび顔をしかめていると、


「あの」


 何かを確かめるような表情になった彼女は


「もしかしたらよく図書館にいらっしゃる方ですか?」

「…え?」


 図書館、と聞いて即座に見慣れた本棚の列が浮かんだ。


 混乱して首をかしげていると、


「藤本さん、見た名前だなって。顔も。昨日も来館されましたよね?」


 言った彼女はまた、小さな笑顔になった。




< 49 / 280 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop