こんな雨の中で、立ち止まったまま君は
電気ポットがないのでヤカンをコンロにかけた。
部屋に戻っても会話を続けられる自信がなかったのでそのまま火を眺めていると、
急に喉の奥がうずいてきて、思い出したみたいに咳が出た。
流しに立ちながらむせるように咳き込んでいると彼女がやってきて
「もしかして風邪ひいちゃったんですか? テーブルの上に体温計もあったし……熱、あるんですか?」
たいしたことはないと言ったのだけれど、
私がやるから座っていてくれと、握っていたインスタントコーヒーの瓶を奪われてしまった。
呆気にとられているうちに、手際よくコーヒーが淹れられていく。
部屋に戻ると、
「ご飯は食べたのか」と聞かれた。
「まだだ」と応えると、彼女は持ってきた箱から丸いパンを取り出して
「食べてください。ちゃんと」
俺に手渡した。
はっきり言って食欲がない。
けれどじっと俺を見ている彼女に負けて、持たされたパンをかじってみることにした。
初めて食べた味だった。
オレンジの香りが口のなかに広がった。
小川さんは幼稚園の先生みたいな顔をして俺のことを見たままだ。
全部食べきったほうがいいのだろうと思った俺は、
見られながらパンをかじるという、何ともこそばゆい食事をとりあえず終えた。
「私、本当に迷惑をかけちゃったんですね。すみません」
俺がパンを食べきったところで彼女は言った。
何度も謝るので、「そんなことはない」と繰り返すしかなかった。
「もともと風邪気味だったんです」
「でも昨日、雨に濡れたからひどくなったんでしょう?」
「いや…」
曖昧な返事をして頭を掻くと、
小川さんはこれ以上すぼまらないというくらいに肩を落として俯いた。
―――ごめんなさい
―――大丈夫
しばらくの間、そればかりを繰り返していた。