こんな雨の中で、立ち止まったまま君は
どこか遠くのほうから、風にのって雨の匂いが届いたような気がした。
「あの…」
切り出した言葉に、小川さんの顔が持ち上がる。
「はい?」と横を向いた彼女の顔に、俺は疑問を口にした。
「あの歩道橋に……いつも居ますよね」
「え?」
「その…倒れていたあの歩道橋の上に…」
小川さんは首をかしげている。
「……雨の日に、いつも」
もしかしたら、聞かないほうが良かったのだろうか。
彼女の顔に、街灯がつくる濃淡とは別の色の影が差して、俺は瞬間的に戸惑った。
たぶん、余計なことだった。
人は誰だって、知られたくないことの一つや二つ持っている。
親しい友人にさえ、家族にだって、話せないことを。
彼女があそこに現れるのは、決まって一人きりでだ。
雨の日に。雨の日だけに。
彼女はあえてそうしているのに。
彼女だけの理由。
見られたくないもの、知らせたくないもの。
たまたま気づいてしまった俺は、
そしてそれを口に出してしまった俺は、
彼女の痛い部分に踏み込んでしまったのではないか。
彼女の傷口に、わざわざ触れて痛みを射すように。
彼女は首を傾けたまま、遠くのビルの明かりを見つめている。
その口が開くまでの時間、俺はひどく後悔した。
すみません、そう言おうとして口を開きかけたとき、
「そうですね…居るかもしれません」
独り言のように彼女が呟いた。