清くて正しい社内恋愛のすすめ

しのびよる影

 3月に入り、春らしい日差しを感じる日も増えてきた。

 雪解けはまだ先だが、旅館 久留島本店の周りも確実に春の足音が聞こえ始めている。


正岡(まさおか)! 正岡!」

 久留島 嘉代(くるしま かよ)は山積みになった書類の山に手を伸ばすと、大きな声で秘書の正岡を呼んだ。

「はい、はい。そんなに大きな声を出されなくても、すぐ側におりますのに」

 正岡は、ゆっくりと嘉代の側へ寄ると、目じりの皺をさらに深くさせる。


「なあに? にやにやして」

 嘉代は書類に手早くサインを書き込むと、楽しそうにほほ笑む正岡の顔を横目で軽く睨みつけた。

「いえいえ。最近、社長のお顔の色が良いので、私も嬉しいのですよ。穂乃莉お嬢様が、こちらにお戻りになるのが、よほど嬉しいのですねぇ」

 正岡はそう言いながら書類を受取ると、何度も小さくうなずきながら扉へと向かう。

 嘉代はぷいと顔を背けようとして、慌てて正岡を呼び止めた。


「そうだわ。そろそろ穂乃莉の部屋の、クリーニングも頼んでおいて頂戴。きっとここ数年で荷物も増えてるでしょうしね」

「はい。かしこまりました」

 正岡はにっこりとほほ笑むと、深々と頭を下げて出て行った。
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