清くて正しい社内恋愛のすすめ
「父親の元に置いてきたの。あの子はとても利発な子だったわ。幼い頃から父親に、跡取りとして厳しくしつけられていた。だから……連れて行けなかった」

「そんな……」

「ひどい母親よね。私が家を出る時のあの子の目は、今でも忘れられない……」

 スピーカーの奥から、母のすすり泣く声が聞こえる。

 加賀見は何も言えず、ただ母の鼻をすする音だけが耳に響いていた。


「だからね、あの子はさぞかし私のことを恨んでいるだろうと思ってた……。でもね、つい最近、あの子が私のことを探し当てて連絡をくれたの」

「え……?」

「あの子まだ若いのに、父親の仕事を立派に継いで社長になっているのよ。電話でね、お母さんのことは恨んでないよって言ってくれて……。きっと寂しくて、辛い思いもしてきただろうに……。思いやりのある、素敵な大人に成長してくれたのね」

 そう言うと母はまた声を抑えて泣き出した。


 加賀見はソファに寄りかかると、天井を仰ぎながら、小さく「良かったな」と言う。

 母がこんな風に、加賀見の前で涙を流すのは初めてだ。

 いつも明るく笑顔で加賀見を支えてくれた母に、そんな過去があったなんて知らなかった。
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