人嫌いと聞いていた王太子様が溺愛してくるのですが?~王太子妃には興味がないので私のことはどうぞお構いなく~
◇◇◇
「わあ……」
王城の敷地内にある後宮は、思ったよりも大きな建物だった。
昔から王太子の後宮として使われている宮は、威圧感があるのにどこか優美にも見える。
「広そうな建物ですね~。お嬢様のお部屋、風通しのいい部屋だといいですけど」
美術的価値が高そうな外観を眺めていると、私の隣にいたミラが声をあげた。
黒髪黒目のクラシカルなメイド服姿の女性。髪はツインテールでかなりの近眼のため、黒縁眼鏡を掛けている。
そんなミラは私よりふたつ年上の、公爵家に仕える非常に有能なメイドだ。
五年ほど前からは私専属のメイドとして働いてもらっているのだけれど、今回後宮に上がるという話になった時も、自分から立候補してくれた。
「もちろん私を連れて行きますよね? 連れて行かないなんて言ったら、その口を縫いつけてやりますから」
この言葉からも分かるように、ミラは主人に対してもとても口が悪い……というか毒舌だ。
なかなかに使いづらい女性だが、仕事はできるし、実は彼女がツンデレ属性だということに気づいているので酷い言葉を投げつけられても私が傷つくことはない。
今の言葉だって「私を置いて行くなんて許しませんよ! ぷんぷん!」くらいの意味だと分かっているのだ。
何せミラは、全部行動に出るので。
文句を言いつつもテキパキと働き、チラチラとこちらを窺っているところを見れば、毒舌は癖みたいなものなのだと理解できる。つい口にしてしまうだけなのだ。
「ミラがいてくれて心強いわ」
ミラに話しかけると彼女は「当然です」と胸を張った。
「お嬢様のお世話を完璧にできるのは、この私以外にいませんからね。連れて行けるメイドがひとりなら、私一択。もちろんそうですよね?」
「ええ、その通りよ。ミラ」
「……分かっているのならそれでいいんですよ」
その頬はほんのりと赤かった。どうやら照れているようだ。
こういうところがミラは可愛いし、懐いてくれているのだなと分かるので好きなのだ。
後宮なんて面倒な場所。家からはひとりしかメイドを連れて行けない中、彼女を選んだのは間違いではなかったと思えてくる。
「いつまでも眺めていないで中に入りましょう。これから一年間、お世話になる場所なんだから」
「はい」
ミラを連れ、後宮の入り口へ赴く。
入り口前には衛兵が立っていたが、私たちの姿を認めるとすぐに頭を下げ、扉を開けてくれた。
「スノードロップ・ラインベルト様とそのお連れ様ですね。お待ち申し上げておりました。中へどうぞ」
「ありがとう」
礼を言い、中へと足を踏み入れる。正面に大階段。階段は途中で左右に分かれている。玄関ロビーは実家よりも広く、たくさんの女性たちが集まっていた。
「あら……?」
数はざっと二十人ほど。
彼女たちも私と同じく、妃候補なのだろう。
女性たちは私を見て戸惑っているようだったが、その中からひとり、女性が進み出てきた。綺麗な人だ。彼女はじろじろと私の姿を観察するように見てくる。
「ふうん。あなたが正妃候補としてきたひと?」
「ええ。スノードロップ・ラインベルトよ」
名乗ると彼女は「ラインベルト公爵家、ね」と頷き、自分も自己紹介をしてきた。
「シャロン・レイテールよ。あなたと同じ公爵家の人間で、正妃候補として来ているわ」
「ああ、やっぱり。よろしく」
にこりと笑う。
父から、正妃候補として私以外にもうひとりいることは事前に聞いてきたのだ。
同じ公爵家出身で、年は私のひとつ上。
当たり前のように前に出てきているところからも、彼女こそが私の他にもうひとりいる正妃候補だろうと推察していたが、正解だったようだ。
シャロンと名乗った女性を観察する。彼女は金髪碧眼の巻き毛がとても美しい、スタイル抜群の美女だった。
胸が大きく開いた派手なドレスを着て、化粧も華やかに仕上げてある。胸元には真っ赤な宝石がついたネックレスが輝いていた。
まさに公爵家の令嬢というに相応しい姿だ。
「……ふうん」
じろじろと私を見ていたシャロンが、ひとつ頷く。そうして言った。
「それなりってところかしら。及第点ね」
彼女の言う及第点とは服装のことらしい。
今日の私は、一応後宮生活一日目ということで、ドレスアップしてきていた。
舐められてはいけないとミラが強く主張したからなのだけれど、私の目の色と同じ紫色のドレスは、実はかなり気に入っている。身体の線が出る細身のデザインなのだが、私はシャロンとは違ってあまり凹凸のない体型なので、こういう形が似合いやすい。
髪もハーフアップにして編み込み、宝石のついた簪を挿した。紛れもなく正装姿だ。
正直、王子が来るわけでもないのにここまでする必要があるのかと疑問だったが、シャロンの様子を見ていれば、ミラの言い分が正しかったのは明らかだ。
実際、ミラの目は「ほら、私の言う通りだったでしょう? これだからお嬢様は、全く!」と言っている。
なるほど。女の世界はどこも大変なのだなと他人事のように思っていると、シャロンは腰に手を当て、胸を張って言った。
「いい? 私とあなたはライバル関係にあるの。先に言っておくけど、あまり親しげに話しかけてくるのはやめてちょうだい」
「え、ライバル?」
聞き慣れない言葉に首を傾げる。私の態度が気に入らなかったのか、シャロンは綺麗に整えた眉を吊り上げた。
「殿下の正妃の座を巡るライバルじゃない! 正妃はひとりしかなれないのよ。それくらい分かっているでしょう!?」
「えっと……そう、ね」
目を見開いて怒られたが、そもそも正妃の座に興味がないので、どうしたって気のない返事になる。
だって私はここに一年間暮らすためだけに来たのだ。
ライバルと言われても困ってしまう。
困惑する私に、シャロンは「もういいわ」と背中を向けた。
「私と同じ正妃候補だと聞いたからどんな子が来たのかと思っていたけど。どうやら殿下の正妃になる自覚もないような女だったようね。こんな子に私が負けるなんてあり得ない。気に掛けて損したわ」
そうして大階段をずんずんと上っていく。彼女の後を十人ほどの女性がついていった。どうやら彼女たちはシャロンの取り巻きのようだ。
正妃候補に気に入られようとしているのだろう。私とシャロン以外は全員愛妾候補だと聞いているので、身分の高い者に擦り寄るのは当然だと思う。
もし自分が愛妾になり、シャロンが正妃になったら。
その時、正妃であるシャロンに取り立ててもらえるようにと今から頑張っているのだろう。
姿も見せない王子のためによくやるなあとは思うが、他人のことをとやかく言うつもりはない。
私は予定通り、一年を過ごして後宮から去る。それだけだ。
「あの……」
シャロンの姿が完全に見えなくなったあと、残っていた女性のひとりが声を掛けてきた。
緑色のドレスが可愛い優しげな人だ。
「何かしら?」
シャロンを除けば、全員私より身分が下であることは分かっているので敬語は使わない。
彼女はキラキラとした目で私を見つめてきた。
「わ、私、セシリア・エバートンと言います。その……よろしければこれから仲良くしていただきたいのですけど」
彼女に続くように残っていた女性たちが次々と自己紹介を始める。
皆、子爵家か男爵家の出身で、唯一、最初に話しかけてきたセシリアだけが、伯爵家の出だった。
彼女たちは私を窺うように見ていて、なるほど、シャロンに近づき損なったから私の方に来たのだなとすぐに分かった。
取り巻きは要らないのだけど、ここは女の園だ。
好意的に見てもらえた方が何かと得だという打算が働いた私はにっこりと笑って言った。
「こちらこそ、よろしく。スノードロップ・ラインベルトよ。後宮のことは何も分からないから、色々教えてくれると嬉しいわ」
笑顔がよかったのか、皆、ホッとした表情になった。
セシリアが言う。
「も、もちろんです! その、宜しければ、スノードロップ様のお部屋にご案内致しますわ」
「助かるわ。何も聞いていなくて、どこが自分の部屋か分からないと思っていたの」
後宮にいる女官を捕まえて聞こうかと考えていただけに有り難い。
セシリアは頷くと、私に言った。
「いつもなら後宮を仕切っている女官長がいるのですけど、今はちょうど王城へ行っておりまして。きっとあとで挨拶に来ると思いますわ」
「そう」
「五十代くらいの小柄な女性です。女官長は他の女官たちとは違うデザインの女官服を着ているのですぐに分かるかと」
「ありがとう」
そういう情報は助かる。
セシリアは「では、お部屋にご案内しますね」と先ほどシャロンが上っていった大階段へ向かった。
「スノードロップ様のお部屋はお二階になります」
話を聞きながら大階段を上る。残っていた女性たちも私の後に続いた。
大階段は幅広で、五人くらいが横一列になっても上れそうなくらいに余裕がある。
シャロンは先ほど右側の階段を上っていったが、セシリアは左側へ向かった。
「反対側は、シャロン様のお部屋に続いています。こちらがスノードロップ様のお部屋に」
「ふうん。ねえ、二階には他に部屋を貰っている人はいないの?」
まるで右はシャロン専用、左は私専用、みたいな言い方をするので聞いてみた。
「はい。二階にお部屋が与えられるのは正妃候補のみですので。私たち愛妾候補は一階にお部屋をいただいておりますわ」
「そう」
「ちなみに、家からメイドを連れてこられるのも正妃候補だけです。とは言っても許されるのはひとりだけですけどね」
それは知らなかった。
全員、ひとりずつメイドを連れてきているものとばかり思っていた。驚いているとセシリアが微笑みながら言う。
「万が一にも、殿下がメイドを見初めることがないよう、後宮に入れる者を最小限に絞っているとのことですわ。ただ、正妃候補だけは専属のメイドがいた方がいいだろうということで、特別に許されています」
「そうなの……」
「私たちの世話は王城から派遣された女官が行ってくれるので問題はありませんが、専属ではありませんので、たまに不便に感じることはありますわね」
そうだろうなと思う。
貴族の娘なのだ。
専属のメイドがいるのが当然の生活をしてきたのがいきなり取り上げられて、不便に感じないはずがない。
セシリアたちには申し訳ないが、素直に正妃候補でよかったと思った。
ミラがいるといないでは大違いなのだ。
「さ、こちらです」
二階の廊下を歩く。すぐに扉があった。
セシリアが扉を開き、入るように促す。中に入ると、そこは部屋ではなく吹き抜けがある空中廊下だった。
「ここ……」
「ご覧になればお分かりになるでしょうけど、一階は皆が集まる広間となっております。まだ一度も開かれたことはありませんが、宴をする際にも使用される、全員が集まれる場所です」
言われるままに下を見ると、確かに広間になっていた。
女官たちが忙しげに行き来している。夕食の準備中だろうか。
「スノードロップ様のお部屋はこの奥にありますわ。シャロン様は反対側に。それと食事ですが、広間で取ることが決まっています。一階の大階段裏にある大きな扉から広間には行けますので、覚えておいて下さいね」
セシリアの言葉通り、空中廊下の突き当たりには扉らしきものがあった。
左右対称の造りになっていて、ちょうど反対側にも同じような空中廊下と扉が見える。
おそらくそこがシャロンの部屋なのだろう。
「こちらがスノードロップ様のお部屋です。では、私たちはこれで失礼しますわね。もし何かあれば、女官でも私たちでも好きにお呼び下さい」
「ありがとう」
笑顔で礼を言い、部屋へ入る。一番後ろにいたミラも続き、扉を閉めた。
それを確認し、溜息を吐く。
「大変そうね……」
一年、ただ居ればいいだけと思っていたが、改めて集団生活なのだということを思い知った心地だった。
ミラが淡々とした声で言う。
「分かった上でこられたのでは?」
「想像と現実は違うってことよ。ま、でも来てしまったのだから仕方ないわね。気持ちを切り替えて、自分なりに楽しくやるわ」
ここに来たのは私の意思ではないが、不満を言うよりは楽しい気持ちで過ごしたい。
幸いにも私と仲良くしたいと思ってくれている女性たちもいるようだし、大人しく過ごしていれば、変な問題が起こることもないだろう。
そう思い直し、与えられた部屋を見る。
部屋は公爵令嬢である私から見ても十分に広く、居心地がよさそうだった。
確認したが、今いる居室の他にふたつ部屋がある。ひとつは寝室で、もうひとつはミラの部屋だ。
ミラの部屋は他の二部屋に比べればかなり狭いけれど、一通り家具は揃っているし、私の部屋と繋がっているのは有り難かった。
何かあった時にすぐに呼べるし、心強い。
「よかった。メイドの部屋は別棟とか言われたらどうしようかと思ったわ」
「お嬢様は寂しがり屋でいらっしゃいますからね。私が側についていないと、おひとりで寝ることもできないのでは?」
厭味なもの言いだが、声音が弾んでいるので、ミラも私と離されずに済んだことを喜んでくれているのだと分かる。
だから私は笑顔で言った。
「そうね。見知らぬ場所だもの。ミラがいてくれると心強いから、一緒でよかったわ」
「……そうですか」
ツンとそっぽを向かれたが、その頬が少し赤かったことに気づいたので、やっぱりミラは可愛いなと思った。
「わあ……」
王城の敷地内にある後宮は、思ったよりも大きな建物だった。
昔から王太子の後宮として使われている宮は、威圧感があるのにどこか優美にも見える。
「広そうな建物ですね~。お嬢様のお部屋、風通しのいい部屋だといいですけど」
美術的価値が高そうな外観を眺めていると、私の隣にいたミラが声をあげた。
黒髪黒目のクラシカルなメイド服姿の女性。髪はツインテールでかなりの近眼のため、黒縁眼鏡を掛けている。
そんなミラは私よりふたつ年上の、公爵家に仕える非常に有能なメイドだ。
五年ほど前からは私専属のメイドとして働いてもらっているのだけれど、今回後宮に上がるという話になった時も、自分から立候補してくれた。
「もちろん私を連れて行きますよね? 連れて行かないなんて言ったら、その口を縫いつけてやりますから」
この言葉からも分かるように、ミラは主人に対してもとても口が悪い……というか毒舌だ。
なかなかに使いづらい女性だが、仕事はできるし、実は彼女がツンデレ属性だということに気づいているので酷い言葉を投げつけられても私が傷つくことはない。
今の言葉だって「私を置いて行くなんて許しませんよ! ぷんぷん!」くらいの意味だと分かっているのだ。
何せミラは、全部行動に出るので。
文句を言いつつもテキパキと働き、チラチラとこちらを窺っているところを見れば、毒舌は癖みたいなものなのだと理解できる。つい口にしてしまうだけなのだ。
「ミラがいてくれて心強いわ」
ミラに話しかけると彼女は「当然です」と胸を張った。
「お嬢様のお世話を完璧にできるのは、この私以外にいませんからね。連れて行けるメイドがひとりなら、私一択。もちろんそうですよね?」
「ええ、その通りよ。ミラ」
「……分かっているのならそれでいいんですよ」
その頬はほんのりと赤かった。どうやら照れているようだ。
こういうところがミラは可愛いし、懐いてくれているのだなと分かるので好きなのだ。
後宮なんて面倒な場所。家からはひとりしかメイドを連れて行けない中、彼女を選んだのは間違いではなかったと思えてくる。
「いつまでも眺めていないで中に入りましょう。これから一年間、お世話になる場所なんだから」
「はい」
ミラを連れ、後宮の入り口へ赴く。
入り口前には衛兵が立っていたが、私たちの姿を認めるとすぐに頭を下げ、扉を開けてくれた。
「スノードロップ・ラインベルト様とそのお連れ様ですね。お待ち申し上げておりました。中へどうぞ」
「ありがとう」
礼を言い、中へと足を踏み入れる。正面に大階段。階段は途中で左右に分かれている。玄関ロビーは実家よりも広く、たくさんの女性たちが集まっていた。
「あら……?」
数はざっと二十人ほど。
彼女たちも私と同じく、妃候補なのだろう。
女性たちは私を見て戸惑っているようだったが、その中からひとり、女性が進み出てきた。綺麗な人だ。彼女はじろじろと私の姿を観察するように見てくる。
「ふうん。あなたが正妃候補としてきたひと?」
「ええ。スノードロップ・ラインベルトよ」
名乗ると彼女は「ラインベルト公爵家、ね」と頷き、自分も自己紹介をしてきた。
「シャロン・レイテールよ。あなたと同じ公爵家の人間で、正妃候補として来ているわ」
「ああ、やっぱり。よろしく」
にこりと笑う。
父から、正妃候補として私以外にもうひとりいることは事前に聞いてきたのだ。
同じ公爵家出身で、年は私のひとつ上。
当たり前のように前に出てきているところからも、彼女こそが私の他にもうひとりいる正妃候補だろうと推察していたが、正解だったようだ。
シャロンと名乗った女性を観察する。彼女は金髪碧眼の巻き毛がとても美しい、スタイル抜群の美女だった。
胸が大きく開いた派手なドレスを着て、化粧も華やかに仕上げてある。胸元には真っ赤な宝石がついたネックレスが輝いていた。
まさに公爵家の令嬢というに相応しい姿だ。
「……ふうん」
じろじろと私を見ていたシャロンが、ひとつ頷く。そうして言った。
「それなりってところかしら。及第点ね」
彼女の言う及第点とは服装のことらしい。
今日の私は、一応後宮生活一日目ということで、ドレスアップしてきていた。
舐められてはいけないとミラが強く主張したからなのだけれど、私の目の色と同じ紫色のドレスは、実はかなり気に入っている。身体の線が出る細身のデザインなのだが、私はシャロンとは違ってあまり凹凸のない体型なので、こういう形が似合いやすい。
髪もハーフアップにして編み込み、宝石のついた簪を挿した。紛れもなく正装姿だ。
正直、王子が来るわけでもないのにここまでする必要があるのかと疑問だったが、シャロンの様子を見ていれば、ミラの言い分が正しかったのは明らかだ。
実際、ミラの目は「ほら、私の言う通りだったでしょう? これだからお嬢様は、全く!」と言っている。
なるほど。女の世界はどこも大変なのだなと他人事のように思っていると、シャロンは腰に手を当て、胸を張って言った。
「いい? 私とあなたはライバル関係にあるの。先に言っておくけど、あまり親しげに話しかけてくるのはやめてちょうだい」
「え、ライバル?」
聞き慣れない言葉に首を傾げる。私の態度が気に入らなかったのか、シャロンは綺麗に整えた眉を吊り上げた。
「殿下の正妃の座を巡るライバルじゃない! 正妃はひとりしかなれないのよ。それくらい分かっているでしょう!?」
「えっと……そう、ね」
目を見開いて怒られたが、そもそも正妃の座に興味がないので、どうしたって気のない返事になる。
だって私はここに一年間暮らすためだけに来たのだ。
ライバルと言われても困ってしまう。
困惑する私に、シャロンは「もういいわ」と背中を向けた。
「私と同じ正妃候補だと聞いたからどんな子が来たのかと思っていたけど。どうやら殿下の正妃になる自覚もないような女だったようね。こんな子に私が負けるなんてあり得ない。気に掛けて損したわ」
そうして大階段をずんずんと上っていく。彼女の後を十人ほどの女性がついていった。どうやら彼女たちはシャロンの取り巻きのようだ。
正妃候補に気に入られようとしているのだろう。私とシャロン以外は全員愛妾候補だと聞いているので、身分の高い者に擦り寄るのは当然だと思う。
もし自分が愛妾になり、シャロンが正妃になったら。
その時、正妃であるシャロンに取り立ててもらえるようにと今から頑張っているのだろう。
姿も見せない王子のためによくやるなあとは思うが、他人のことをとやかく言うつもりはない。
私は予定通り、一年を過ごして後宮から去る。それだけだ。
「あの……」
シャロンの姿が完全に見えなくなったあと、残っていた女性のひとりが声を掛けてきた。
緑色のドレスが可愛い優しげな人だ。
「何かしら?」
シャロンを除けば、全員私より身分が下であることは分かっているので敬語は使わない。
彼女はキラキラとした目で私を見つめてきた。
「わ、私、セシリア・エバートンと言います。その……よろしければこれから仲良くしていただきたいのですけど」
彼女に続くように残っていた女性たちが次々と自己紹介を始める。
皆、子爵家か男爵家の出身で、唯一、最初に話しかけてきたセシリアだけが、伯爵家の出だった。
彼女たちは私を窺うように見ていて、なるほど、シャロンに近づき損なったから私の方に来たのだなとすぐに分かった。
取り巻きは要らないのだけど、ここは女の園だ。
好意的に見てもらえた方が何かと得だという打算が働いた私はにっこりと笑って言った。
「こちらこそ、よろしく。スノードロップ・ラインベルトよ。後宮のことは何も分からないから、色々教えてくれると嬉しいわ」
笑顔がよかったのか、皆、ホッとした表情になった。
セシリアが言う。
「も、もちろんです! その、宜しければ、スノードロップ様のお部屋にご案内致しますわ」
「助かるわ。何も聞いていなくて、どこが自分の部屋か分からないと思っていたの」
後宮にいる女官を捕まえて聞こうかと考えていただけに有り難い。
セシリアは頷くと、私に言った。
「いつもなら後宮を仕切っている女官長がいるのですけど、今はちょうど王城へ行っておりまして。きっとあとで挨拶に来ると思いますわ」
「そう」
「五十代くらいの小柄な女性です。女官長は他の女官たちとは違うデザインの女官服を着ているのですぐに分かるかと」
「ありがとう」
そういう情報は助かる。
セシリアは「では、お部屋にご案内しますね」と先ほどシャロンが上っていった大階段へ向かった。
「スノードロップ様のお部屋はお二階になります」
話を聞きながら大階段を上る。残っていた女性たちも私の後に続いた。
大階段は幅広で、五人くらいが横一列になっても上れそうなくらいに余裕がある。
シャロンは先ほど右側の階段を上っていったが、セシリアは左側へ向かった。
「反対側は、シャロン様のお部屋に続いています。こちらがスノードロップ様のお部屋に」
「ふうん。ねえ、二階には他に部屋を貰っている人はいないの?」
まるで右はシャロン専用、左は私専用、みたいな言い方をするので聞いてみた。
「はい。二階にお部屋が与えられるのは正妃候補のみですので。私たち愛妾候補は一階にお部屋をいただいておりますわ」
「そう」
「ちなみに、家からメイドを連れてこられるのも正妃候補だけです。とは言っても許されるのはひとりだけですけどね」
それは知らなかった。
全員、ひとりずつメイドを連れてきているものとばかり思っていた。驚いているとセシリアが微笑みながら言う。
「万が一にも、殿下がメイドを見初めることがないよう、後宮に入れる者を最小限に絞っているとのことですわ。ただ、正妃候補だけは専属のメイドがいた方がいいだろうということで、特別に許されています」
「そうなの……」
「私たちの世話は王城から派遣された女官が行ってくれるので問題はありませんが、専属ではありませんので、たまに不便に感じることはありますわね」
そうだろうなと思う。
貴族の娘なのだ。
専属のメイドがいるのが当然の生活をしてきたのがいきなり取り上げられて、不便に感じないはずがない。
セシリアたちには申し訳ないが、素直に正妃候補でよかったと思った。
ミラがいるといないでは大違いなのだ。
「さ、こちらです」
二階の廊下を歩く。すぐに扉があった。
セシリアが扉を開き、入るように促す。中に入ると、そこは部屋ではなく吹き抜けがある空中廊下だった。
「ここ……」
「ご覧になればお分かりになるでしょうけど、一階は皆が集まる広間となっております。まだ一度も開かれたことはありませんが、宴をする際にも使用される、全員が集まれる場所です」
言われるままに下を見ると、確かに広間になっていた。
女官たちが忙しげに行き来している。夕食の準備中だろうか。
「スノードロップ様のお部屋はこの奥にありますわ。シャロン様は反対側に。それと食事ですが、広間で取ることが決まっています。一階の大階段裏にある大きな扉から広間には行けますので、覚えておいて下さいね」
セシリアの言葉通り、空中廊下の突き当たりには扉らしきものがあった。
左右対称の造りになっていて、ちょうど反対側にも同じような空中廊下と扉が見える。
おそらくそこがシャロンの部屋なのだろう。
「こちらがスノードロップ様のお部屋です。では、私たちはこれで失礼しますわね。もし何かあれば、女官でも私たちでも好きにお呼び下さい」
「ありがとう」
笑顔で礼を言い、部屋へ入る。一番後ろにいたミラも続き、扉を閉めた。
それを確認し、溜息を吐く。
「大変そうね……」
一年、ただ居ればいいだけと思っていたが、改めて集団生活なのだということを思い知った心地だった。
ミラが淡々とした声で言う。
「分かった上でこられたのでは?」
「想像と現実は違うってことよ。ま、でも来てしまったのだから仕方ないわね。気持ちを切り替えて、自分なりに楽しくやるわ」
ここに来たのは私の意思ではないが、不満を言うよりは楽しい気持ちで過ごしたい。
幸いにも私と仲良くしたいと思ってくれている女性たちもいるようだし、大人しく過ごしていれば、変な問題が起こることもないだろう。
そう思い直し、与えられた部屋を見る。
部屋は公爵令嬢である私から見ても十分に広く、居心地がよさそうだった。
確認したが、今いる居室の他にふたつ部屋がある。ひとつは寝室で、もうひとつはミラの部屋だ。
ミラの部屋は他の二部屋に比べればかなり狭いけれど、一通り家具は揃っているし、私の部屋と繋がっているのは有り難かった。
何かあった時にすぐに呼べるし、心強い。
「よかった。メイドの部屋は別棟とか言われたらどうしようかと思ったわ」
「お嬢様は寂しがり屋でいらっしゃいますからね。私が側についていないと、おひとりで寝ることもできないのでは?」
厭味なもの言いだが、声音が弾んでいるので、ミラも私と離されずに済んだことを喜んでくれているのだと分かる。
だから私は笑顔で言った。
「そうね。見知らぬ場所だもの。ミラがいてくれると心強いから、一緒でよかったわ」
「……そうですか」
ツンとそっぽを向かれたが、その頬が少し赤かったことに気づいたので、やっぱりミラは可愛いなと思った。