やっぱり血祭くんが好き!【こちらはマンガシナリオです】
16章
午後六時半。

イルカライブ館のベンチに座っていた私は、キョトン顔で陽斗くんを見上げていた。

「神宮寺さんをオレに返してくださいっ」

え?

陽斗くんがオーランド様にそういった瞬間、私の心臓が、ドクンと脈打った。

ええ?

気がつくと、私は大観衆がいる目の前で、陽斗くんに手を取られていたんだ。

えええ?

う、うそだぁ。

こ、これって……。

私は隣のオーランド様を見る。

サングラスをかけているから定かではなかったけど、私には、オーランド様の目が鋭い光を発しているように見えたんだ。

なんていうか、陽斗くんの真意をじっと見定めている、そんなふうに……。

一方。

ど、どどど……。

陽斗くんの手に包まれた私の左手は、戦意を喪失したみたいに無抵抗だった。

ど、どどどど……。

心なしか、陽斗くんの右手に力がこもった。

ど、どうしようっ……。

私の手、恥ずかしいぐらい汗ばんでるよぉ。

あぁ……ハンカチで拭きたい。

今すぐっ。

は、恥ずかしいよぉ。

それでも、想像よりも大きかった彼の手が、私の手をしっかりとつかんでいる。

なんという安心感。

なんという温かさ。

申し訳ない気持ちと、嬉しい気持ちとが、私の中でなんども交互に入れ替わる。

すると、いきなり。

「行こう」

「あっ、う、うんっ」

私は陽斗くんに手を引かれて、気付くともう、ベンチを立って走っていたんだ。

一瞬だけオーランド様を振り返ったが、

「は、陽斗くん?」

すぐに強く手を引かれて私は前を見る。

ねえ、どうしちゃったの?

二人は、ケンカでもしたの?

私は陽斗くんに手を引かれながら、客席の合間を縫うように走って行く。

私の頭が、混乱しているのか。

世界の方が混乱しているのか。

そのときの風景を私は今でも覚えている。

まるで映画のワンシーンのように世界がスローモーションになっている。

私の視界を流れ過ぎていく景色は、どうも現実味のないぼやけた風景に見えてしまうのだった。

でも。

でも。

私をどこかへ連れて行く陽斗くんは、ものすごく真剣な顔をしていた。

キミのこんな顔を見るなんて、思いもしなかったよ。

私は、少し驚きながら、彼に声をかけてみる。

「あ、ああああ、あの、朝野くん?」

「いいからっ」

だが、陽斗くんはこっちを見ずにそういった。

普段の彼からは想像のできない、少し荒々しい声。

それが、また私の心臓をドクンと脈打たせるのだ。

「神宮司さん」

「あ、は、はいっ」

そして、興奮状態の私に向かって、彼が語気を強めてこんなことをいったんだ。

「神宮寺さん、もう振り返らないでっ。もうオーランドさんを見ないでくれっ……お願いだから!」

陽斗くん?

ねえ、陽斗くん!

いったい、なにがあったの?


                    ***


午後六時四十五分。

オレはあてもなく神宮司さんの手を引き、館内をひた走っていた。

神宮司さんを、オーランドさんから少しでも引き離したい一心で。

やがて。

本館の出口まで来たところで、

「あ、あああ、朝野くん……もう、もう無理……走れないよぉ」

そんな神宮司さんの声が聞こえ、オレはハッと立ち止まった。

しまった。

手を放すと、神宮司さんは膝に手をついてぜえぜえと肩を上下させる。

「あ、ごめん」

「ううん……いいんだけど……でで、でもぉ……もう体力の限界かなぁ」

神宮司さんがきつそうに息を切らしている姿を見て、

「ホントごめんっ」

オレはまた自己嫌悪に陥った。

なにやってんだよ、オレは!

彼女のペースも考えず、むやみやたらに引きずり回したりなんかして……。

「ごめん、無理させちゃったね、オレのせいで」

「ううん……そ、そそそ、それはいいんだぁ……でもぉ……どうしたのかなぁって」

「――そう、思うよね」

「オーランド様と……まさか、ケンカでもしたのかなぁ?」

肩で息をする神宮司さんが、こっちを見上げながら訊く。

「ケンカ?」

ケンカ、か。

「どうだろう」

どうなんだろう。

オレは自分でもよくわからなかった。

でも、さっき。

オレはオーランドさんに対し、ものすごく失礼な態度を取った。

それは間違いない。

彼のことを睨んでいたかもしれない。

オレのことを、色々とお世話してくれている恩人に対して……。

ああ、くそ……。

オレは額に手を当てた。

やってしまったよな。

これ、やってしまったよな?

今オレは、オーランドさんから少し距離を取ったからなのか、あるいは神宮司さんを彼から引き離すことに成功したからなのか。

とにかく、オレはようやく冷静になって物事を考えることができていた。

でも。

でも。

冷静に冷静になんど考えてみても――やっぱり。

「うぅ……オレ……絶対にやらかしてしまってるよ」

オレはどう考えても、幼稚で子供じみた振る舞いをとってしまっていた。

神宮司さんを楽しませてくれているオーランドさんに対して、オレはめちゃくちゃ失礼なことをやってしまっている。

いきなり彼の前に現れたと思ったら、神宮司さんをオレに返せだなんだといって、大勢の人が見ている前で、いきなり神宮司さんをつれて行ったんだ。

ああ……。

とたんオレは、中学のサッカーの試合のときに、オウンゴールをやらかしてしまった辛い過去を思い出す。

これ、ダメなやつだ。

絶対にやっちゃいけないやつだ。

オレは猛烈な絶望感に襲われた。

「ああ、くそ……」

なにやってんだよ。

思わず水族館の出口で頭を抱えるオレ。

しかし、悔やんでも過去は変わらない。

神宮司さんにまで心配かけて、オレはなにがしたかったのか。

オレはパニックになる頭の中で必死に自分に問いかける。

オレはなにをしたい?

なにをしたかったんだ?

あ……。

「……そうだ」

すると、ふと頭に思いつくものがあった。

神宮司さんの前で、自然体に振舞えている自分の姿を。

まだ少し照れ臭そうにしてはいるが、以前ほど緊張していないオレ。

慎重さも残っているが、それでも胸の内を自然に話せている、朝野陽斗。

それが理想だった。

ありのまま。

ありのままの姿を、オレは彼女に見せたかったんだ。

そう。

本当は、神宮司さんに秘密を打ち明けて、二人の関係を一歩前に進めることが目的だったんだ。

それなのに。

それなのに。

オレは水族館の出口で息を切らす二人を見て、天を仰ぐ。

まだ陽は出ているが、うっすらと空には闇が迫っていた。

今……ここには、二人しかいない。

オレの身勝手で、わがままで……。

恩人のオーランドさんと足の悪い妹を放って。

オレは拳を握りしめた。

なにやってんだよ。

しかも、神宮司さんは目の前で、息を切らして立っている。

なにやってんだよ、オレは。

こんなの。

こんなのって。

「……」

オレはがっくりと肩を落とす。

台無しじゃないか。

オレのせいで……。

くそ。

これじゃあ、どう考えても前進はおろか、後退しかしようがない。

彼女の前では、ありのままでいたいだって?

なにいってんだよ……。

楽しい時間をぶっ潰して、みんなに心配までかけて。

神宮司さんが、キョトンとしているじゃないか。

オレ、めちゃくちゃカッコ悪いじゃないか……。

「最悪だぁ」

思わずつぶやくと、オレは脱力して膝に手を置いた。

なんかもう上半身に力が入らなかった。

すると。

「だ、だだだ、大丈夫だよぉ」

「?」

神宮司さんが、オレの背中を優しくさすってくれたんだ。

え?

神宮司さん?

オレは驚いて彼女をそっと見上げる。

あっ……。

すると、彼女は前髪の隙間から、綺麗な瞳を覗かせていた。

そうだ、この目だ、とオレは思い出す。

すべてはあのときから始まったんだ。

高校に入学してすぐ、飼い猫が死んで死ぬほど落ち込んでいたオレをキミが救ってくれた
あのとき。

偶然たどり着いた打出小槌神社で、巫女に扮したキミが、オレを気遣いやさしく声をかけてくれたあのとき。

他人と話すのは得意じゃないだろうに、それでもキミは必死に息継ぎをしながら、「よ、よ、よ、よければ、どどどど、どうぞ――」って、オレにおみくじを引かせてくれた。

そのおかげで、新しい子猫とも出会えた。

キミの優しさのおかげで、オレは救われたんだ。

オレはもういちど神宮司さんの瞳をうかがうように見た。

目尻を下げながら、優しく優しく背中をさすってくれる神宮司さん。

オレには、彼女が癒しの女神にでもなったように見えてしまっていた。

オレのよくないところも含めて、全てを受け入れてくれる、そんな愛情深い女神様のように
見えてしまっていたんだ。

そこで、気がついた。

オレたちって今、見つめ合っている?

神宮司さんの潤んだ瞳がキラキラと輝いている。

ドキッ。

見上げるとオレと、見下ろす彼女――。

「神宮司さん……」

「朝野くん」

間違いない。

オレたちは見つめ合っている。

少なくとも今、オレはこの世でいちばん大事な宝物を眺めるようにして、彼女を見つめていた。
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