レンタル姫 ~国のために毎夜の夜伽を命じられた踊り子姫は敵国の皇帝に溺愛される~
 亡き母を憶えているどころか今でも思いを寄せてくれていると聞かされて、ノツィーリアは思わず手を合わせて声を弾ませてしまった。
 笑顔になったノツィーリアを見て、皇帝もまた笑みを浮かべる。

「我が父である先帝が、幼い余に伝説の踊り子の思い出話を何度も語って聞かせてくれていたのだ。そのたびに母上がすねていたな」
「まあ、ご家族の仲がよろしくていらっしゃるのですね」

 温かな家族の光景を思い描けば、ノツィーリアの方こそ憧れの念を抱いてしまう。優しい母との思い出の上には、家族との苦い記憶が厚く降りつもっていた。
 それらを心の中で振りはらい、母の笑顔を脳裏によみがえらせれば自然と顔がほころびる。

(かつて訪れた国の人々の心の中にこうしていつまでも思い出として残っているなんて。お母様は本当に、素晴らしい方なんだわ……!)

 ノツィーリアは熱い思いを抱きしめるように胸の前で両手を重ねてぎゅっと握りこむと、涙の浮かぶ目を閉ざして感嘆のため息をついた。


 ノツィーリアが喜びにひたっていると、不意に声をかけられた。

「ノツィーリア姫」
「は、はい」

 すぐさま目を開き、両手を下ろして背筋を伸ばす。
 皇帝の顔に視線を向けた途端、赤い瞳が切なげに細められた。

「そなたの手を見せてもらってもよろしいか」

(私の手が、どうかしたのかしら)

『手を見せてほしい』というルジェレクス皇帝の言葉をノツィーリアは不思議に思わずにはいられなかった。
 おずおずと手のひらを上にして差しだせば、すぐさま拾い上げられる。
 皇帝の長い指の先がノツィーリアの手首から手の甲をなぞっていき、親指同士が絡められて手を広げさせられる。
 改めて自分の手のひらを見ると、中央に短く赤い傷がいくつもできていた。それは妹に激高するまいと手を握りこんだときの爪痕だった。傷を見た瞬間に痛みがよみがえれば、意識の外に押しやっていた媚薬の熱とあいまって息が荒くなってしまう。
 呼吸の乱れを悟られまいと、唇を引きしめたその瞬間。

「っ……!?」

 お辞儀するように身を屈めた皇帝が、手のひらに口づけた。
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