現れたのは聖竜様と予想外の溺愛でした
莉亜が塔に幽閉されてから一晩経った。
司祭の読みでは壁画の呪いにあてられて事切れる頃合だ。
無論、様子を見に行かせるなどはしない。
骸など穢れでしかないのだ。
やがて朽ち果てるその骨など、次にそこを使うやつを打ち据える杖代わりにでもなればいいと思っていた。

しかし、現実は司祭の妄想とはかけ離れた展開を見せていた。

「…………ちょっと待って。楽しいかもしれない」

涙の痕が残る目尻が煤に汚れている。
しかし、その肌の色は生きた人間のそれであり、瞳は虚ろと呼ぶには光が宿り過ぎている。
引き裂いたシーツで顔の下半分を覆ってマスク代わりにした莉亜は、手箒と雑巾で眼前の壁画を拭っては掃き清めている。
うっすらと見え始めた地模様に莉亜は歓喜の声を上げた。

「ほんとに壁画だ。これは竜の鱗? よくこんなに色が残って……そんなに長いこと経っていないのかな」

ひとりごとを呟きながらも手を進める莉亜。
彼女とて、即座にこの境地に至れた訳では無い。
鉄格子を外そうとしたり、窓から脱出を試みたりとあらゆる試行錯誤の結果、打ちひしがれた彼女であったが、こうなれば正攻法でいくしかないと腹を括った。
水が止められていなかったことが幸いし、壁を拭ってみたところ、思いのほか綺麗になったその有様に、一筋の光を見出したのだ。
部屋の隅に打ち捨てられていた掃除用具を持ち出して、表面の埃や泥を取り除く。
咳き込みながらの作業は休み休みではあったものの、突然の環境の変化で眠れるわけもない莉亜には、差し込む月明かりの力を借りて単調な作業に没頭することは、一種の現実逃避でもあったのだ。

「伝説の聖竜を描いたものにしては扱いが粗末過ぎる……これ、ほんとに祀る気があったの?」

朝日が差し込む頃になると、手のひらふたつ分の面積が浮かび上がってきた。
鈍色の鱗は泥や日焼けのせいではなく、元からの着色のようだ。
元の世界で目にした、古墳の壁画発見のニュースが思い出される。
当時の息吹をそのまま蘇らせた伝説の鳥は、目の覚めるような燃える朱色をしていた。
同じ壁画といっても染料の違いがあるし、門外漢の莉亜には一概に言えないところはあるものの、これではお粗末過ぎる──そんな疑問を布の下でもごもごと訝しみながら、壁の溝に溜まった泥を箒の柄で削り落としてマスク代わりの布をぐいと引き下ろした。
ふう、と息を吹きかけ壁の表面から埃や砂を飛ばした──その時。
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