まだあなたを愛してる〜離縁を望まれ家を出たはずなのに追いかけてきた夫がめちゃめちゃ溺愛してきます〜
6 大切な人〜ジェイドside〜
サムス公爵邸では、夜会の準備に追われた使用人たちが忙しなく廊下を行き来している。
その会場となる入り口にいた俺の下へ一人の男がやってきた。
「ジェイド、今夜はすまないな」
「マックス」
俺に砕けた感じで話しかけてくるのは、サムス公爵家の嫡男で親友のマクシミリアン。サラサラとした金の髪と真っ青な瞳の容姿端麗な男だ。
本来なら雇い主である公爵家の者を呼び捨てるなどあってはならないが、彼が敬称をつける事を拒むため名前で呼び合っている。
「父上は何かとパーティーを開こうとするから困ったものだ。独身最後の夜を祝う夜会を、式のひと月前にする必要があるのかな」
マックスは白い歯を見せる。
今夜開かれる夜会は、来月に結婚を控えているマックスの弟の為に行われるものだ。
俺は公爵邸での仕事を終え、そのまま参加する事になっていた。
「いいじゃないか、こうして祝ってあげるなんて家族仲がいい証拠だ。俺には羨ましい」
「そうか?」
笑いながら肩をすくめて見せるマックス。
俺は深く頷いた。
サムス公爵家は、それぞれが互いを想い合う素晴らしい家族だと、俺は見栄ばかりの両親と比べ心底羨ましく思っている。
しばらく笑っていたマックスはスッと真顔になり、顔を寄せ声を潜めた。
どうやら別の話があったらしい。
「ジェイド、あの話はどうなった?」
「あの話?」
「ほら、クリスタ嬢の」
「ああ……その話なら、はっきりと断った」
――ああ、思い出すだけで腹が立つ。
――ひと月前。
両親は俺にローラと別れ、クリスタと一緒になるように言ってきた。
クリスタは母の姉の娘で、水の精霊の加護を持つアクアトス公爵家の三女だ。
母は以前からクリスタを自分の幼い頃に似ていると可愛がっており、何かと侯爵邸に呼んでいた。
その理由の一つには、歳の近い俺と婚姻をさせようという考えがあったようだ。年頃になると、その話をクリスタに持ち掛けていた。
だが、彼女はそれを断っていた。
それもそうだろう。いくら叔母の頼みとはいえ、もともと魔力持ちというだけで爵位を受けただけの、何も持たない侯爵家に嫁入りするなど、精霊の加護を持つ公爵家の者には考えられなかったのだ。彼等はその力もさながら、広い領地を持ち領民から得る収益で優雅な暮らしを送っているのだから。
『魔力持ち』がいた頃には特別な扱いを受け優雅に暮らしていたが、今のレイズ侯爵家には誰一人魔力を持つ者はいない。
先代の偉大な功績を理由に侯爵という立場にしがみ付き、今もなお父親は大きな態度をとってはいるが、父は王族の下で、兄はフレイ公爵の下で、そして俺はサムス公爵家に行き働いている。
クリスタに断られた両親は、俺を連れアーソイル公爵の下へ行った。
そこで俺はローラと出会い、結婚をした。
結婚して二年が過ぎた頃から、両親は何かと俺を侯爵邸に呼び出すようになった。
俺達夫婦になかなか子供を授からない事で、夫婦の仲が上手く言ってはいないのではないかと心配しているという話だった。
まさか両親がそういう心配をしてくれるとは思わなかった。
なぜなら、ローラとの結婚は俺が無理に押し通したものだったからだ。これまで一度も親に意見をする事のなかった俺の頼みだからと、渋々了承してくれていたに過ぎなかった。
俺は、夫婦仲は良いのだと話し、子供は欲しいと思ってはいるがなかなか授からないのだと、ローラも早く俺の子供が欲しいと願っていると伝えた。
すると両親は、それならいい物を知っていると言い、二か月前にようやく手に入れたと言ってお茶を渡してくれた。女性の体に良い物で、毎日飲むことで子供を授かりやすくなるのだと言う。
ただ、自分たちが直接ローラに渡せば、余計に気にしてしまうだろうと、俺から渡すようにと配慮まで見せてくれた。
それほどまでに俺達の事を気にかけてくれていたのかと思い、俺は素直に喜んだ。
――だが。
今からひと月前、クリスタが俺と結婚してもいいと言い出したのだ。
事もあろうに、両親はそれを喜び受け入れた。
俺は結婚をしているが、まだ子供はいない。その上、あのお茶を飲んでひと月が経つのにまだ授からないのはローラに原因があるからだと言って。
クリスタとであれば必ず魔力持ちの子供が生まれると話した両親は、俺にすぐに離縁するようにと告げた。
ほんの少し前には、彼女に気遣いを見せてくれていたのに……。
手のひらを返すその言葉に、俺ははじめて両親に対し怒りを露わにした。
あの日を思い出し、奥歯を噛みしめ怒りを堪えて震える俺の肩を、マックスは落ち着けと言いながらぽんと叩く。
「断って、それで納得してもらえたのか?」
「ああ、一度断った後は特に何も言ってこなくなった」
「あのレイズ侯爵が? クリスタ嬢も?」
「クリスタとはその後、二度ほどレイズ侯爵邸で会ったが特に何も。彼女は両親とだけ話し、俺とは言葉も交わしていない」
俺の話を聞いたマックスは、訝しげな顔になった。
「実は昨日、弟が大聖堂に婚姻の誓約書を受け取りに行った際、レイズ侯爵夫人の姿を見たと言った」
「母上が大聖堂に?」
なぜ? と俺は驚きマックスの顔を見た。
「弟も気になって様子を見ていたらしい。すると、夫人は離縁書をもらっていたと」
「離縁書?」
マックスは顔を顰める。
「なぁ、ジェイド。君のご両親だからあまり言いたくはないが、彼らがお前の意見を受け入れるか? 私は、ジェイドが断ったぐらいで簡単に引き下がるとは思えない。ご両親は昔から、君たち兄弟の意思など関係なく駒のように扱うだろう?」
「駒……。確かに」
俺達の両親は魔力持ちという家系に誇りを持っている。
互いに魔力持ちの家に生まれ、力を宿すとされる新緑の瞳を持つ二人は、血が濃くなれば再び魔力が蘇るだろうと言った祖父により結婚をすることになった。
そうして、兄と俺が生まれてきた。
二人とも魔力持ちの新緑の瞳を持ってはいたが、体に魔力を宿してはいなかった。
「お前たち兄弟は魔力を持って生まれなかったことに引け目を感じているだろう?」
「引け目か……」
確かに、それはある。俺達兄弟は両親をこれ以上落胆させてはいけないと、親の言うとおりに生きてきた。
これまで俺が親に意見をしたのは、ローラの事だけだ。
「ジェイド。侯爵夫妻はお前に言っても無駄だと考えて、直接ローラちゃんに話をしたとは考えられないか?」
「いや、両親が家に来たと彼女が話した事は一度もない……」
「君の両親が口止めしていたら? 彼女は親族から迫害を受けて生きてきていると言っていただろう? そういう目に遭った者は、上から強く言われると受け入れてしまう」
マックスには、ローラと出会ってからこれまでの事をすべて話ししていた。
彼女が公爵邸でどんな目に遭っていたか、俺が彼女と結婚する為にはどうしたらいいのかなど、いろいろと相談をしてきている。
「まさか、いくら何でもそこまで……」
「お前達兄弟は、両親から抑制されている所があると思う。だからこれまで逆らう事なく両親の、悪く言えば言いなりになってきているんだ。信じたい気持ちは分かるが、どんなに親子であろうと心は違う。それに昔から、力を持つ者達は自分の意思を通す傾向が強い」
「確かに両親もそういう所があるが……」
「離縁書は、どちらかの承認があれば代理人が受け取る事ができる。レイズ侯爵夫人がもらったということはローラちゃんに離縁を受けさせたという事じゃないのか?」
まさか……。
勝手にローラ会いに行き、俺と離縁しろと言った?
そこまでするのか?
息子である俺の気持ちは考えず、魔力持ちを蘇らせるためだけに?
「ジェイド、お前が今一番大切な人は誰だ?」
――大切な人?
そんなの考えるまでもない。
「ローラに決まっている」
「だったら、分かるだろう? 最近ローラちゃんに何か変わった様子は見られなかったか?」
「変わった様子? いや、そんな感じは……」
そう言われて思い出してみると、俺が両親にクリスタとの話を断った後ぐらいから家の中が少しずつ変わっているような気がする。
壁に飾られていた絵はいつのまにか外されていた。彼女が作ったクッションカバーも取り換えられていて……。
一つ一つは小さな事だ。
彼女が気分を変えたかっただけかもしれない。
他に変わった様子は見られなかった。
これまでと変わらず美味しい食事を作ってくれて、両親がくれたお茶も飲んでくれていた。
腕に抱く彼女にも変わった様子は……。
――そう言えば。
昨夜、彼女は俺を誘って来た。
これまでで初めての事だった。
ローラから口づけられ、求められた。
それも激しくしてと甘い声で言われ、夢中になってしまった。
彼女が溢す涙を拭うと嬉しそうに微笑んで……。
あの涙の意味は?
寝ていた俺の耳に、彼女の消え入りそうな声が聞こえた。
『ありがとう』と『ごめんなさい』と『魔力が現われますように』……。
ありがとうとは何に対して? ごめんなさいはどういう意味を持つ?
――魔力が現れますようにとは?
俺はレイズ侯爵が魔力持ちであった事を彼女には話していない。
彼女は魔力を持つ者がこの国に居るということは知っていたが、それが誰かは知らなかった。
知っていれば彼女の姉達の様に、魔力を失い落ちぶれたレイズ侯爵家の者など目にも留めなかっただろう。
――違う、ローラはそういう女性じゃない。
彼女はこれまで出会った誰よりも美しい心をもった人だ。
俺の、レイズ侯爵家にはもったいないほど。
夕刻になり夜会が始まってすぐ、胸騒ぎを覚えた俺は夜会を早めに抜けさせてもらい帰路についた。
その会場となる入り口にいた俺の下へ一人の男がやってきた。
「ジェイド、今夜はすまないな」
「マックス」
俺に砕けた感じで話しかけてくるのは、サムス公爵家の嫡男で親友のマクシミリアン。サラサラとした金の髪と真っ青な瞳の容姿端麗な男だ。
本来なら雇い主である公爵家の者を呼び捨てるなどあってはならないが、彼が敬称をつける事を拒むため名前で呼び合っている。
「父上は何かとパーティーを開こうとするから困ったものだ。独身最後の夜を祝う夜会を、式のひと月前にする必要があるのかな」
マックスは白い歯を見せる。
今夜開かれる夜会は、来月に結婚を控えているマックスの弟の為に行われるものだ。
俺は公爵邸での仕事を終え、そのまま参加する事になっていた。
「いいじゃないか、こうして祝ってあげるなんて家族仲がいい証拠だ。俺には羨ましい」
「そうか?」
笑いながら肩をすくめて見せるマックス。
俺は深く頷いた。
サムス公爵家は、それぞれが互いを想い合う素晴らしい家族だと、俺は見栄ばかりの両親と比べ心底羨ましく思っている。
しばらく笑っていたマックスはスッと真顔になり、顔を寄せ声を潜めた。
どうやら別の話があったらしい。
「ジェイド、あの話はどうなった?」
「あの話?」
「ほら、クリスタ嬢の」
「ああ……その話なら、はっきりと断った」
――ああ、思い出すだけで腹が立つ。
――ひと月前。
両親は俺にローラと別れ、クリスタと一緒になるように言ってきた。
クリスタは母の姉の娘で、水の精霊の加護を持つアクアトス公爵家の三女だ。
母は以前からクリスタを自分の幼い頃に似ていると可愛がっており、何かと侯爵邸に呼んでいた。
その理由の一つには、歳の近い俺と婚姻をさせようという考えがあったようだ。年頃になると、その話をクリスタに持ち掛けていた。
だが、彼女はそれを断っていた。
それもそうだろう。いくら叔母の頼みとはいえ、もともと魔力持ちというだけで爵位を受けただけの、何も持たない侯爵家に嫁入りするなど、精霊の加護を持つ公爵家の者には考えられなかったのだ。彼等はその力もさながら、広い領地を持ち領民から得る収益で優雅な暮らしを送っているのだから。
『魔力持ち』がいた頃には特別な扱いを受け優雅に暮らしていたが、今のレイズ侯爵家には誰一人魔力を持つ者はいない。
先代の偉大な功績を理由に侯爵という立場にしがみ付き、今もなお父親は大きな態度をとってはいるが、父は王族の下で、兄はフレイ公爵の下で、そして俺はサムス公爵家に行き働いている。
クリスタに断られた両親は、俺を連れアーソイル公爵の下へ行った。
そこで俺はローラと出会い、結婚をした。
結婚して二年が過ぎた頃から、両親は何かと俺を侯爵邸に呼び出すようになった。
俺達夫婦になかなか子供を授からない事で、夫婦の仲が上手く言ってはいないのではないかと心配しているという話だった。
まさか両親がそういう心配をしてくれるとは思わなかった。
なぜなら、ローラとの結婚は俺が無理に押し通したものだったからだ。これまで一度も親に意見をする事のなかった俺の頼みだからと、渋々了承してくれていたに過ぎなかった。
俺は、夫婦仲は良いのだと話し、子供は欲しいと思ってはいるがなかなか授からないのだと、ローラも早く俺の子供が欲しいと願っていると伝えた。
すると両親は、それならいい物を知っていると言い、二か月前にようやく手に入れたと言ってお茶を渡してくれた。女性の体に良い物で、毎日飲むことで子供を授かりやすくなるのだと言う。
ただ、自分たちが直接ローラに渡せば、余計に気にしてしまうだろうと、俺から渡すようにと配慮まで見せてくれた。
それほどまでに俺達の事を気にかけてくれていたのかと思い、俺は素直に喜んだ。
――だが。
今からひと月前、クリスタが俺と結婚してもいいと言い出したのだ。
事もあろうに、両親はそれを喜び受け入れた。
俺は結婚をしているが、まだ子供はいない。その上、あのお茶を飲んでひと月が経つのにまだ授からないのはローラに原因があるからだと言って。
クリスタとであれば必ず魔力持ちの子供が生まれると話した両親は、俺にすぐに離縁するようにと告げた。
ほんの少し前には、彼女に気遣いを見せてくれていたのに……。
手のひらを返すその言葉に、俺ははじめて両親に対し怒りを露わにした。
あの日を思い出し、奥歯を噛みしめ怒りを堪えて震える俺の肩を、マックスは落ち着けと言いながらぽんと叩く。
「断って、それで納得してもらえたのか?」
「ああ、一度断った後は特に何も言ってこなくなった」
「あのレイズ侯爵が? クリスタ嬢も?」
「クリスタとはその後、二度ほどレイズ侯爵邸で会ったが特に何も。彼女は両親とだけ話し、俺とは言葉も交わしていない」
俺の話を聞いたマックスは、訝しげな顔になった。
「実は昨日、弟が大聖堂に婚姻の誓約書を受け取りに行った際、レイズ侯爵夫人の姿を見たと言った」
「母上が大聖堂に?」
なぜ? と俺は驚きマックスの顔を見た。
「弟も気になって様子を見ていたらしい。すると、夫人は離縁書をもらっていたと」
「離縁書?」
マックスは顔を顰める。
「なぁ、ジェイド。君のご両親だからあまり言いたくはないが、彼らがお前の意見を受け入れるか? 私は、ジェイドが断ったぐらいで簡単に引き下がるとは思えない。ご両親は昔から、君たち兄弟の意思など関係なく駒のように扱うだろう?」
「駒……。確かに」
俺達の両親は魔力持ちという家系に誇りを持っている。
互いに魔力持ちの家に生まれ、力を宿すとされる新緑の瞳を持つ二人は、血が濃くなれば再び魔力が蘇るだろうと言った祖父により結婚をすることになった。
そうして、兄と俺が生まれてきた。
二人とも魔力持ちの新緑の瞳を持ってはいたが、体に魔力を宿してはいなかった。
「お前たち兄弟は魔力を持って生まれなかったことに引け目を感じているだろう?」
「引け目か……」
確かに、それはある。俺達兄弟は両親をこれ以上落胆させてはいけないと、親の言うとおりに生きてきた。
これまで俺が親に意見をしたのは、ローラの事だけだ。
「ジェイド。侯爵夫妻はお前に言っても無駄だと考えて、直接ローラちゃんに話をしたとは考えられないか?」
「いや、両親が家に来たと彼女が話した事は一度もない……」
「君の両親が口止めしていたら? 彼女は親族から迫害を受けて生きてきていると言っていただろう? そういう目に遭った者は、上から強く言われると受け入れてしまう」
マックスには、ローラと出会ってからこれまでの事をすべて話ししていた。
彼女が公爵邸でどんな目に遭っていたか、俺が彼女と結婚する為にはどうしたらいいのかなど、いろいろと相談をしてきている。
「まさか、いくら何でもそこまで……」
「お前達兄弟は、両親から抑制されている所があると思う。だからこれまで逆らう事なく両親の、悪く言えば言いなりになってきているんだ。信じたい気持ちは分かるが、どんなに親子であろうと心は違う。それに昔から、力を持つ者達は自分の意思を通す傾向が強い」
「確かに両親もそういう所があるが……」
「離縁書は、どちらかの承認があれば代理人が受け取る事ができる。レイズ侯爵夫人がもらったということはローラちゃんに離縁を受けさせたという事じゃないのか?」
まさか……。
勝手にローラ会いに行き、俺と離縁しろと言った?
そこまでするのか?
息子である俺の気持ちは考えず、魔力持ちを蘇らせるためだけに?
「ジェイド、お前が今一番大切な人は誰だ?」
――大切な人?
そんなの考えるまでもない。
「ローラに決まっている」
「だったら、分かるだろう? 最近ローラちゃんに何か変わった様子は見られなかったか?」
「変わった様子? いや、そんな感じは……」
そう言われて思い出してみると、俺が両親にクリスタとの話を断った後ぐらいから家の中が少しずつ変わっているような気がする。
壁に飾られていた絵はいつのまにか外されていた。彼女が作ったクッションカバーも取り換えられていて……。
一つ一つは小さな事だ。
彼女が気分を変えたかっただけかもしれない。
他に変わった様子は見られなかった。
これまでと変わらず美味しい食事を作ってくれて、両親がくれたお茶も飲んでくれていた。
腕に抱く彼女にも変わった様子は……。
――そう言えば。
昨夜、彼女は俺を誘って来た。
これまでで初めての事だった。
ローラから口づけられ、求められた。
それも激しくしてと甘い声で言われ、夢中になってしまった。
彼女が溢す涙を拭うと嬉しそうに微笑んで……。
あの涙の意味は?
寝ていた俺の耳に、彼女の消え入りそうな声が聞こえた。
『ありがとう』と『ごめんなさい』と『魔力が現われますように』……。
ありがとうとは何に対して? ごめんなさいはどういう意味を持つ?
――魔力が現れますようにとは?
俺はレイズ侯爵が魔力持ちであった事を彼女には話していない。
彼女は魔力を持つ者がこの国に居るということは知っていたが、それが誰かは知らなかった。
知っていれば彼女の姉達の様に、魔力を失い落ちぶれたレイズ侯爵家の者など目にも留めなかっただろう。
――違う、ローラはそういう女性じゃない。
彼女はこれまで出会った誰よりも美しい心をもった人だ。
俺の、レイズ侯爵家にはもったいないほど。
夕刻になり夜会が始まってすぐ、胸騒ぎを覚えた俺は夜会を早めに抜けさせてもらい帰路についた。