まだあなたを愛してる〜離縁を望まれ家を出たはずなのに追いかけてきた夫がめちゃめちゃ溺愛してきます〜
 彼らがいなくなった途端、家の中は静かになった。

 外は闇に包まれている。
 家の明かりが映り込む窓ガラスには、肩を落とした俺の姿が映っていた。

 この屋敷は、俺がローラと結婚を決め暮らす家を探している時に、マックスから新婚の二人にいいだろうと勧めてもらったものだ。

『小さな屋敷、使用人もいない』

 クリスタは顔を顰めてそう言った。
 貴族の令嬢ならば普通はそう思うのだろうか。

 ローラはあんなに喜んでくれたのに。

 この屋敷に使用人がいないのも、俺が不甲斐ないせいだ。
 彼女との結婚が決まってすぐに俺はこの屋敷を手にした。だが、公爵邸の騎士でしかない俺の稼ぎでは使用人を雇えても一人。

 レイズ家は侯爵であるが、俺は次男。
 分家をし家名を持つが、騎士として雇われている普通の男でしかない。

 その事を結婚が決まるまで言わずにいた俺は、ローラに申し訳なく思い謝った。

「ジェイド、謝らないで。私はあなたと一緒にいられたらそれだけで嬉しいの。あなたであれば身分なんてどうだっていい。それに私、あまり上手ではないけれど料理も出来るのよ? 洗濯も掃除も出来るの。だから使用人はいらない。それに……あなたと二人だけでいたいから」

 彼女は、優しい声でそう言って微笑んでくれた。
 俺は彼女に出会い結婚出来たことを心から幸せだと思った。

(ローラ……)

 ――幸せにすると君に誓ったのに。
 俺のせいで君を傷つけてしまった。

◇◇◇

 はじめてローラと出会ったあの日。

 アーソイル公爵邸のパーティーには大勢の貴族令息が着飾り、我先にと土の加護を持つ公爵令嬢に声をかけていた。
 財を成す加護を持つ令嬢と結婚出来れば、一生働かなくとも不自由はない。
 そこに恋や愛という感情は一切なく、皆欲にまみれた目で深紅の瞳を捕らえようと必死になっている。
 俺は両親に連れてこられ、仕方なく参加していた。

 公爵令嬢達は取り巻く令息達を、まるでドレスを選ぶように見回す。
 だが、魔力を持たないレイズ侯爵の子息である俺には見向きもしない。
 まぁ、こういう態度をとられる事は最初から分かっていた。

 両親は気が付いていないが、陰ではレイズ侯爵は男爵位と同じと云われているほどだ。

 領土もなければ資産も底をついている。
 今は母方の辺境伯爵が裕福であったため、その持参金で何とか建前を取り繕っている状況だ。

 どうせここにいても無駄な時間を過ごすだけ。
 パーティー会場の異様な熱気に気分が悪くなった俺は、同じ時間を過ごすのなら、庭園でも歩こうと考えた。

 アーソイル公爵家の庭園は、迷路のように生垣が張り巡らされていた。
 何も考えず歩いていた俺は、戻る道を間違え屋敷から離れた場所に出てしまった。

 ――そこに彼女がいた。

 優しく吹く風に、陽の光を受け煌めく金色の髪が揺れている。
 細い腕がオレンジ色の果実へと伸ばされ白い指先がそっとそれに触れた。

 あの少女はどんな顔をしているのだろう、単純にそう思い、驚かせないように優しく声をかけた。

「ここは」

 その声に少女が振り向いた。
 だが見たいと思っていた顔は、長く伸ばされた前髪が目元を覆い隠していたためにほとんど分からない。

 格好から公爵邸のメイドだろうと考えていた俺は、そのつもりで誰かと尋ねた。

 不躾な言い方だったにも関わらず、少女はアーソイル公爵の四女だと答えてくれた。
 四女がいたのか、と知らなかった俺は驚いた。
 それに娘ならなぜパーティーに参加しないのか?

 尋ねたい事はたくさんあったが、すぐに背を向けられてしまった。
 立ち去るべきだろうか、そう思いながらもどうしてか少女から目が離せなかった俺は、手入れをする様子をしばらく見ていてもいいかと言ってその場に残った。
 少女は何も言わずに頷いて、そのまま手入れを続けた。

(……何か、なんでもいいから彼女と話がしたい)

 どうしてそう思ったのか分からない。
 
 まず名乗るべきだと思い、ここに来た理由を簡単に話し、彼女に自身の名前を告げた。
 加護を持つ令嬢と縁がないかと思いパーティーに来たのだと話すと、それまで背中を向けていた少女は振り返る。

(名前は告げない方がよかったかも知れない)

 俺は、家名を告げたことを少し後悔していた。
 この少女もレイズ侯爵の名を知っているのだろう。魔力を持たない落ちぶれた侯爵では加護持ちと縁を持つなど無理だと笑うのだろうか? そう考えていた。


 こちらを向いた彼女の長い前髪が風に揺れ、そこから美しいバラのような瞳が露わになった。

(なんて綺麗な瞳だろう……)

 馬鹿にされるかも知れないと考えていた俺は、美しい淡紅色の瞳に目を奪われた。

 最初は興味を持っただけだったのに、彼女の素顔を一目見て、心は惹かれてしまった。

 彼女は、その瞳に俺を映し「……あなたならきっと気に入られると思う」と甘い声で囁く。

「……それ、君は私を気に入ったってこと?」

 そう言葉を返せば「分からないけれど、違うと思うわ」と残念な答えが返った。
 俺は彼女を離さないように見つめたまま、名前を教えて欲しいと話した。

「……ローラ」

 名前を聞いた後、もっと彼女と話していたいと思った。またこうして会いたい、そう願った俺はまた会いに来てもいいかと尋ねた。
 しかし、彼女は自分には加護がない、会っても意味が無いと話す。
 このままでは断られてしまうと思い、加護なんてどうでもいいと咄嗟に告げた。
 それは本心だった。彼女に加護の力があろうと、そんな事はどうでもいい。
 俺も同じ。魔力持ちの家に生まれたが魔力を持たないのだから。

 その後、俺はこれまでになく自分の気持ちに忠実に動いた。

 例えアーソイル公爵家の令嬢であっても、加護を持たない彼女との交際を両親に伝えれば反対される事は目に見えている。だから何も告げないまま、アーソイル公爵閣下へ彼女との交際を求めた。
 交際はすぐに了承されたが、その時のアーソイル公爵閣下の冷酷な表情とその返事で、俺は彼女がどんな境遇であるかを知った。

 彼女に一目で心を奪われた俺の中に、境遇を知った事で可哀想だという気持ちが芽生えたことは否めない。
 だが、何度も彼女と会い、話をする度に単純に心は惹かれていった。
 彼女が今いる所から助け出し、俺が守りたい幸せにしたいと思った。

 いろいろあったが、交際から一年後。
 ようやく俺は両親を説得し、ローラと結婚する事が出来た。

 結婚式は、俺と彼女の二人だけで行った。

 それにはさまざまな理由があるが、それは俺の胸の中に一生仕舞い込む。
 彼女にこれ以上悲しい思いをさせたくはないから。

 神父の前で、純白のウエディングドレスを身に纏った誰よりも美しいローラに、俺はこの先君を一人にはしない、必ず幸せにする。そう誓った――。

 彼女は嬉しそうに笑って、美しい淡紅色の目から綺麗な涙をこぼした。

 ローラ……。

 今、君は一人じゃない? 寂しくない?
 泣いていない?

 明日、必ず君の下へ行く。
 だからそれまでどうか――無事でいて――。
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