アンダー・アンダーグラウンド

14

 日曜日に通ったルートを一目散に走り抜ける。僕は家から一番近い神社へと向かっていた。
 もうほとんど暮れてしまった空の下、僕は息を切らしながら最短時間で神社の石段前に辿り着く。やはり周辺に人気は無い。こんな隙間のような時間帯が果たして偶然の産物なのか、それとも人為的に作られたものなのか知った事ではないが、やはり僕の予想通りだった。深呼吸で息を整えて、長い石段を一気に駆け上がる。
 駆け上がった先の神社には僕が想像していた通りの光景が広がっていた————。

「————おや? 君は……?」

 参道の真ん中に立っていた僕は背中にかけられた声に振り返る。強めの風が吹いて木々がざわめく中、真正面、階段を上りきった鳥居の真下に警官が立っていた。
「初めまして。紫水亜希と言います」
 警官がビクッと肩を一瞬上げて、一歩こちらへ近寄る。
「初めまして。紫水亜希君。僕はえーっと……」
 微笑みを浮かべながらもう一歩、もう一歩とゆっくり近寄ってくる警官に僕は真っ直ぐ視線を向けたまま口を開いた。
「わかってますよ。カラーネーム事件の犯人さん」
 警官はピタリと足を止めた。それは絶妙な距離だった。近過ぎず遠過ぎず、小さな声でも届くけど、物理的には少し遠い距離。正に僕が望んだ距離だ。しかし、安心は出来ない。これ以上、踏み込まれたら警戒しなければならない物が二つになってしまう。僕は慎重に言葉を選んで発した。
「残念ですが、もうお終いです。見えないでしょうけど、ここは既に囲まれていますから」
 僕は警官の意識を言葉に向けさせるように、そしてもう逃げられないと錯覚させる為に嘘をついた。
 もちろん、此処に来るまでにそんな時間の余裕なんて無かった。脇目も振らず全速力で向かって来て、ここに立っているんだから。
「君は一体……何を言っているんだい?」
 警官は足を止めたまま、また微笑みを浮かべて、何も危害を加えるつもりは無いとでも言うように手の平をこちらに向けた。
 違う。これじゃ、ダメだ。目的は達成出来ない。
 僕は覚悟を決めて、目の前に立っている犯人の逃げ場を潰していく。
「思わぬ事態にビックリしているかと思いますが、これは全て僕の予想通りです。あなたは絶対にここに来ると思っていました。まぁ、あなたが。ではなく、警察関係者が。と言った方が正しいんですけどね」
 警官は僕をジッと見つめたまま動きを見せない。ただ、その目はまるで人間を見ている目ではなかった。
「ま、どちらにせよこうして対峙している時点であなたがこの後に掴まろうが逃げようがここで僕は殺されるんでしょうけどね。まぁ聞いて下さいよ。何故、僕がここに居るのかを」
 様子を伺いながら、慎重に話を進める。まだ、刺激してはいけない。でも、僕を殺すように意識させなければならない。
 警官は未だ動きを見せず、僕の言葉を待っているようだった。まだ少ししか時間は経っていないのに、辺りはもう真っ暗になっていた。日が落ちた途端に、ここの雰囲気は一変して重苦しく感じた。
「では、時系列順におかしな点を上げていきましょうか。まずは第一と第二の事件。そこからです。違和感は二つ。何故か見つからない第一の被害者、黄田茉莉菜の胴体。そして何故か直ぐに報道されなくなった黄田茉莉菜の援助交際についての話。です。マスコミからしたらこんな美味しいネタは無いし、二人の比較対象としてもかなり使えたはずなのに何故かマスコミはその後、援助交際を掘り起こす事無く詳細には触れないまま終えてしまった。これ、おかしいと思いません?」
 警官はようやく手を下ろした。僕は動きに注意しながら、尚も言葉を並べた。
「ここで何となく思った訳です。これは何かしらの力が働いているなと。報道出来ない理由があるとしたら圧力以外に考えられない。と僕は考えました。だとすると答えは簡単です。黄田茉莉菜の顧客の中に報道してはいけない役職の人がいたんでしょうね。ただ、僕はその時点ではまだそれが警官だとは気付いていませんでした。気付いたのは最近です。四、いや五人目の被害者が出た時です。この町に住んでいる人ならきっと誰しもが分かっていた事でしょう。この町の厳戒態勢に。だが、ここまで厳戒態勢が敷かれているのに何故か犯行が起きている。しかも警官まで殺されている始末。こんな芸当が出来るそういう役職の人なんて警察関係者くらいしか居ません。それならここら辺をうろついていても全くおかしくないし、圧力にも犯行が起きる事にも合点がいきます」
 そう。そして一緒に殺された警官は恐らく辻浦橙花をマークしていた警官だろう。この犯人は逆にそれを利用してその警官を使い、彼女を現場まで連れて来させ、そのまま警官もろとも殺害したのだ。
 ここ最近、月ノ瀬の周りや雪乃の周りにも後を追っているような影が見えたのはそのせいだ。二人とも警官にマークされていたのだ。保護の為なのだろうけど、少なからず囮でもあったのだろう。
「そうなると一つ目の違和感、見つからない胴体と、そして全く違うタイプの人間を襲った理由も説明がつきます。目的は一人だけだった。そう。一番目の被害者、胴体が見つからない黄田茉莉菜の殺害こそが本当の目的だった。恐らくあなたは援助交際の関係で何か問題が起きてしまい、彼女を殺害した。そしてそれを煙に撒く為だけに全く関係のない青井優子を殺害した。殺害したタイミングが違うのにほとんど同時に発見させたのはそのせいです。あなたは植え付けたかったんだ。援助交際のもつれではなく快楽殺人の一種だと。そして体を刻んで方々に捨てたのもどこかに黄田茉莉菜の胴体も捨てられていると錯覚させる為。でも、未だに見つかっていない。と言う事はまだ隠してるんですよね? きっと自宅あたりにでも。切り刻むのなんて今更どうって事ないでしょうから収納にも困らない筈です。理由は大方、その胴体に残ったあなたの体液かそこらでしょう。全く普通ですね。全然、興味を引きません」
「ふふふ……大した名探偵ぶりだねぇ。面白い。続きを聞かせてくれよ少年」
 警官の微笑みから悪意が顔を覗かせる。視線を僕に向けたまま、そっと腰についているホルダーに手をかけたのを僕は見逃さなかった。
 そうだ。それで良い。この場を切り抜けるにはそうするしかないと錯覚するんだ。
「続きは簡単です。あなたは三人目を殺して偶然だった規則性に気付いた。いや、ある規則性を持たせる為に三人目を殺したと言った方がいいかな。そこはそれほど重要じゃありません。ただ、ここであなたは少し趣向が変わります。明らかに殺害を楽しみ始めている。ここからですよね。目的の為の手段が手段の為の目的に変わったのは。あなたは殺しを続ける為に規則性を持たせた。そして自らそこに溺れ始める。それは四人目と五人目の殺し方を見れば嫌でも分かります。まるで芸術作品でも作っているかのような浅はかな狂気がそこにはありました。アーティストでも気取っていたんでしょうかね? 僕にはもう一人の自分に気付いて、まるでそれを崇拝しているかのような儀式めいた物に感じましたが。いずれにせよ、あなたには作品に対するこだわりが生まれてしまった」
 僕は両手を力強く握りしめて、ゆっくりと息を吐き出す。
「だから、失敗は許さないと思ったんです。あそこまで形式張ってわざわざ現場で作業をするようになったあなたの作品が汚されれば、絶対にそれを許さない。許す訳が無い。だから必ずやり直す筈だと僕にはわかっていました。だからここに居るんです」
 警官の手がゆっくりと動く。ホルダーから何かを引き出した。
 あと一息。
 これを言えば終わる。
 全く、本当にわかりやすい浅はかな狂気だ。
「この事件の規則性はビリヤード。偶然にもビリヤード台のように神社が配置されているこの町で偶然一人目と二人目の名前に色が入っていて、それが上手い事ビリヤード球の番号と色の関係と同じだった。だから神社を穴に見立てて被害者宅近くの神社へ球に見立てた生首を供えた。球を穴に落とすようにね。正にビリヤードだ。あなたはそんな下らない意味を持たせる為に人を殺し続けた。いや、殺す為にその意味を守り続けたのか。どっちでもいいかそんな事。でも、ここまで話せばもうお気づきでしょう?」
 風が凪いで、静寂が落ちてくる。僕は微笑みながら、目の前に居る馬鹿な犯人にしか聞こえないくらいに声量を抑えて最後の言葉を放った。
「牧原紫の目を抉りとったのは僕だよ」

 ————銃声が響いた。

 途端に風が吹きだす。木々のざわめきが喧騒の如く辺りを包む中、僕はそこに立ち尽くしていた。
 そして、銃を僕に向けたまま目の前の警官は参道に力なく崩れた。流石プロ。ちゃんとやってくれて良かった。
 僕は倒れている警官に歩み寄り、呼吸と脈拍を確かめる。確かに絶命していた。当たりどころが良かったらどうしようかと思っていたけど、安心した。
 まぁ頭に命中しているんだから当たりどころも何もないんだろうけど。
 僕は真横の草むらに視線を移して、銃を構えたまま固まっている警官にとても残念そうな顔を見せて首を振った。最後の最後まで僕は嘘をついた。
「お兄ちゃん!」
 その隣から雪乃が飛び出して来て、立ち上がった僕に飛びついてくる。顔を埋めて力強く僕の腰に手を回しているけれど、体がビクビクと震えているのが伝わってきた。
 僕は雪乃の包むように抱きしめ、頭を優しく撫でながら心の内で謝った。
 (ごめんね。囮に使って。恐かったよね)
「……今、応援を呼びました。直ぐに駆けつけてきますのでしばらくそのままで……でも、まさか本当に岩渕が犯人だったなんて」
 僕は雪乃の頭を撫でながら足下に落ちている肉の塊に視線を落とした。
 僕が辿り着いた時、ここには雪乃とこの警官の二人しか居なかった。これは僕が間に合った事を意味する。
 そこで僕は自分が雪乃の兄であると説明した後に、事の顛末を簡潔に述べた。
 そしてその時に一つ、嘘をついた。
「きっと犯人は僕を口止めに殺すと思います。もし、僕を殺そうとしたらその時はよろしくお願いします。もし、殺そうとしなかったら恐らくその人は犯人じゃない。犯人じゃなければ警官が市民を殺そうとなんてしませんから」
 僕は雪乃をマークしていた警官に何度も同じ言葉を使って相手が僕を殺すと意識させた。そしてその時はあなたが引き金を引くんだと、それしか僕を守る術は無いと思い込ませた。
 非常時と言うのは思考を鈍らせやすいものだ。その間に応援を呼ぶ時間くらいはあったかも知れないが、僕は自分の目的の為、時間がほとんどない雰囲気を出して急かすように説明し、二人を草むらに隠れさせた。そこから十分に距離を取った状態で僕はこの二人に聞こえないくらいの音量で犯人と喋り続けた。
 刺激しないように刺激しながら僕はその時を待った。
 そしてそれは見事に成功した。
 死刑なんて待っていられないし、この目で死ぬ様を見せてもらわなければ、この気持ちはどうにも収まらない。
 牧原紫を殺した犯人は色んな事を犠牲にしてでも殺さなくてはならない。
 僕にとってはそれほどの事だったんだ。
「お兄ちゃん……ありがとう。助けてくれて」
 何も知らずに、ただ警官に連れて来られた雪乃は、何故、僕がここへ来る事が出来たのか考える余裕も無いようだ。ただ、落ち着いたら疑問に思う可能性もあるのでそれなりのごまかしは用意しておこうと思った。
 「紫」をやり直すなら、自宅から近いここしかないと知っていた。何て言える筈も無い。
 心苦しいけど、また牧原紫を使って言い訳する事にしよう。
 学校が終わったら急いで帰って来るように言いつけたのも、ターゲットが雪乃になった場合、真っ先に気付けるようにする為だったなんて事も一生言えやしない。
 確率としては高かったが、それでも先に「緑」をやる可能性もあった。だから月ノ瀬も泳がせながら有事の際には直ぐに駆けつけられるように近くの神社までのルートを確認しておいたのだけど、まさか家に閉じこもるのがこんなに早いだなんて思いもしなかった。
 自分に危害が及ぶと気付いたら直ぐにこれだ。自宅が安全圏だと信じすぎるのも良くないが、まぁ今回は確かに安全だった事だし、これで良かったとしておこう。
 ちなみにもう一人の「緑」がターゲットになった場合、僕は当初、見殺しにする気で居た。五人目の被害者、辻浦橙花のように。
 既にビリヤードの規則性には気付いていたが、残念ながら「橙」は珍しく三人居たため、放っておいた。ターゲットを広げてしまっては守りたい物が確実に守れなくなる。
 散々、揺れたけど僕には雪乃と月ノ瀬を必ず守らなくてはならなかった。ただ、実際に見殺しにしたら思った以上にダメージが大きかったのは、完全に誤算だった。
 だからまぁ、今日、雪乃をターゲットにしてくれて僕としては大いに助かった。
 兄としては最低だけど、おかげで目的もしっかり遂行出来た。
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