八月の蛍、あの夏の歌

13

「————ホタルすげーな! ってかズリーよ。ピアノ弾ける男なんてモテるに決まってんじゃん!」
 スギがぼやきながらカセットデッキを止めて、巻き戻しボタンを押した。僕は何を言ったらいいのかわからず、空笑いを力なく返すだけだった。
 今日から放課後はパート練習に当てられる事になる。お祭りの準備や練習で部活動が休みになったからだ。まだ一ヶ月以上先なのに、この気合いの入れようは確かにスゴいと思う。
 パート練習はパート毎にカセットとデッキを渡され、それぞれ指定された教室でそれを聞きながら合わせて歌う形になっていた。ちなみにカズは今日も秘密の特訓。あの時の鬼のような顔を思い出す。きっと今ごろユキにカッコいいって言わせる為に必死に練習しているのだろう。
「俺もピアノ弾いてりゃ良かったよ。羨ましいね」
 スギはデッキに手を置いたまま、大げさに肩を落として見せる。僕は少し笑って、首を傾げた。
「そうかな? 男でピアノって少し恥ずかしい気もするけど」
「まぁ男らしさはないけどさ、でも別の魅力があるじゃんか。やっぱりズリーよ。カッコいいもん」
 僕は女子から言われるより、スギにカッコいいと言われる方が嬉しかった。なんだか、スギが僕のピアノを認めてくれた気がした。
「ありがとう。そう言ってくれると弾きがいがあるよ」
「何か気持ち悪いな。ホタルもしかして……」
「違うよ!」
 僕が本気で否定すると、テノールパートのみんなが笑った。スギも「冗談だよ冗談!」と腹を抱えて笑った。
 大した練習もしていないのに、もうほとんど楽譜を見ないで弾けるようになっている僕に宮沢先生は、ピアノの練習より今はみんなの指導に当たってくれと言いだした。
 結果、僕は先生と手分けして毎日別のパートについて色々手助けをする事になったので今日はこうしてテノールパートのみんなと放課後を過ごしている。男子に対しては主に見張りって感じがするけど、でも、なんだかんだ男子もさぼる事無くしっかり練習していて、みんなの歌は一週間で格段にまとまってきていた。
「————ねぇねぇ。私、灰坂さんの隣なんだけどさぁ」
 夏休み目前。僕がアルトパートの練習についている時に、一人の女子が口を開いた。
「あの子、いまだに一回も歌ってないけど大丈夫なのかな?」
「えー? まぁいいんじゃない? 大丈夫でしょ。先生もそこは考えてるんじゃない?」
「でも、隣が歌ってないだけで結構集中出来ないんだよねぇ」
「じゃあソプラノパートに頼んで灰坂さん一番外側に移動させてもらったら?」
「うーん。そうしてもらおうかなぁ」
「でもさ、本番一人だけ歌わないっていうのも見栄え悪くない? しかも端っこの人が口も開けないなんて、なんか仲間外れにしてる感じに見えるし」
「せめて口パクでもして欲しいよね?」
「ってか歌ってよって感じ」
「ねぇホタル。ソプラノパートの練習の時はどんな感じなの?」
 急に話を振られて、僕はハッと我に返る。慌てて巻き戻し中だったカセットデッキから顔を上げた。
「いや、普通だよ? ちゃんと輪の中にいるし、まぁ確かに発言も無ければ歌いもしないけど……」
 僕の言葉にあまり納得いっていない様子の女子達は「うーん」と首を捻った。
 僕は初めて聞く下手をするとクラスメイトの陰口にとられかねない女子の愚痴に、何だか現実を見た気分になった。
 村の人たちもクラスメイトもみんな良い人たちだ。それは変わらない。でもやっぱり、こういう部分もあって当然なんだ。前の学校の女子もこんな感じだった。田舎は違うと勝手に思い込み始めていた僕は正直少しショックだったけれど、だからと言ってみんなが嫌いになったわけではない。ただ熱を入れすぎて、溜まりに溜まっていた不満が今、ほんの少し漏れてしまっただけなんだと思う。爆発するよりよっぽど良い。こうやって小出しにしていけば大きな事件になる事も無いだろう。大丈夫、大丈夫。
< 13 / 34 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop