八月の蛍、あの夏の歌
5
「ホタル! プール行こうぜ!」
日曜日。昼食を終えて居間でゴロゴロしていると、カズの声が玄関先で響いた。こっちの人たちは在宅確認と言う言葉を知らない。居る、居ないに関係なく、とりあえず来る。居なかったら帰る。電話一本よこしはしない。今回はカズと約束していたから良いけど、先週の日曜は急にカズとユキが家に来てビックリしてしまった。
「……早いね」
「よう! 行こうぜ!」
半袖短パンのカズは夏真っ盛りな笑顔で玄関の中に居る。これももう慣れた事だ。
こっちの人たちは外で待たない。とりあえず中に入って来る。居なかったら帰る。父さんも鍵くらいかければ良いのにと思うけど、まぁ色々あるんだろう。
部屋から準備していたバッグを取って来て、外に置いてある自転車にまたがった。
カズはボロボロのママチャリ。僕は一昨年の誕生日に買ってもらったマウンテンバイク。カズはこれを見る度に「カッケー!」と羨ましがる。それがちょっと嬉しかった。
僕らの行き先は学校だ。プールの授業が始まってから、毎週土日にプールが開放される様になった。午前と午後に分けられ、クラスと言うより学年ごとに日にちを振り分けられて解放されるので込み合う事は無く、結構快適だった。ちなみに学校まで自転車で十五分。僕の家からの距離では自転車通学が認められないのがホントに悔やしい。
「いやー! あっちーなー!」
カズが自転車を漕ぎながら日差しを手で遮って空を見る。同じように見上げると、まるで真っ青な空に向かって走っているようだった。カズは楽しそうに遠く目の前に立ちふさがる山を指差して「今度あそこの川行こうぜ!」なんて言って来る。何でも上流では笑えるくらいに魚が釣れるのだそう。それはどうでもいいけど、何だってこいつはこんな爽やかなんだろう。僕はものの五分で汗をダラダラかいているというのに。
「……カズって暑さに強いの?」
僕はギヤを一段軽くして聞いた。
「強い? わかんね。夏は好きだぜ! でも冬も好きだなぁ。春も秋も好きだけど」
何の質問だ? とでも言いたげなカズの顔を見て理解した。こっちの人たちは温度変化に強いんだな。
「ホタル! あっちーならチャリ飛ばして風になろうぜ!」
言うや否や思いっきりペダルを漕いで加速し出すカズは「風」ではなくやっぱりカズだったので、僕は手を振ってその背中を見送った————。
「カズー! ホタルー!」
更衣室で着替えを一気に済ませてプールサイドに出ると、プールの中からスギが大きく手を振った。その横でタダシがまるで温泉にいるみたいに肩までプールに浸かっていた。
プールにはクラスの半分くらいが来ているようで、女子の輪の中にユキの姿も見つけた。ユキも僕の姿を見つけたのか、プールから上がってこっちに走って来た。
「ホタル来たんだ! 遊ぼう遊ぼう!」
ユキは屈託なく僕の腕を握った。心臓が少しだけ変になる。クラスメイトの女子の水着姿をこんな間近で見たのは初めてだった。
僕は目線のやり場に困り、とりあえず隣のカズに目を逃がすと、カズは真っ直ぐ僕の前方にその目を向けていた。
「ユキかわいいなー!」
「は?」
ユキはさっきまでの笑顔を一瞬で消した。
ユキはカズに厳しい。まぁ、こんな能天気馬鹿と十何年も一緒に居ればこういう対応になってしまうのも無理は無いと思う。でもこうやって思った事を恥ずかし気も無く言えるカズを僕は少しだけ尊敬していたりもする。鼻の下を伸ばしてユキにデレデレしている顔は気持ち悪いけど、ちょっと羨ましかった。
「ほらホタル! いこ!」
ユキは僕の腕を握ったままプールサイドを進んだ。熱を帯びたプールサイドは足の裏をどんどん乾かして、歩く度に足跡が薄くなる。由紀の足跡は僕よりも小さかった。
「ホタル! ジャンプ!」
ユキはそう言うと僕の返事を待つ事無く、プールに飛び込む。バランスを崩しながら僕も一緒に飛び込んだ。
————一瞬、心臓が止まるかと思うくらいの冷たさが全身を襲う。でも次の瞬間にはその体が冷えていく感じが逆に心地よくなって、そうなったらもうここからは出られない。
そうやってすっかり涼んだ僕にユキがいきなり顔に水をパシャっとかけてくる。だから僕もかけ返す。何故かカズも水をかけてくる。ユキは思いっきりカズに水をかける。僕はそれを見て腹を抱えて笑う。
気づけば男女みんなで遊んでいた。泳いだり、誰かが持って来たボールを投げたり。
このクラスは男女の仲が良い。僕にはそれが一番新鮮な事だった。
随分遊んだけど、みんなまだまだ元気だった。こっちの人達はみんな体力がとんでもない。まだまだ有り余っているみたいだ。
僕はちょっと休憩したくなってプールから一度出ようかと考えたけど、辺りを見回して端っこでずっと肩まで浸かっているタダシの姿を発見した。最初に見た時から位置が変わっていない。どうやら僕らが遊んでいる間もずっとそこでプールに浸かっていたみたいだ。
「タダシは遊ばないの?」
「動くと汗かくからねぇ」
横まで泳いで来た僕にタダシは心地良さそうな笑顔を向けた。
「プールで汗……かくかな? これ楽しい?」
「楽しいよぉ」
「ふーん」
僕もタダシの横で肩まで浸かりプールを眺めてみる。今もみんなが楽しそうに声を上げて遊んでいる。その中でひと際うるさいのがカズ。そしてスギもやっぱり見かけによらず声がでかい。こうして全体を見ると何だか微妙な人間関係がわかってくる気がした。そうか。タダシはこうやって楽しんでいるのか。カズは常にユキの側に居て大声で自分の存在をアピールしているし、他の男子も目線がしょっちゅう女子に向いているのが分かる。なるほどね。
「ねぇタダシ。ユキはカズの気持ちに流石に気づいてるよね?」
「ん? なにが?」
「いや……なんでもない」
タダシが何を楽しんでいるのか僕にはさっぱりわからない。
空がオレンジ色を帯びて来る頃にプールの時間は終わり、みんな全然乾き切っていない髪のままそれぞれ学校を出ていく。僕とカズはどちらともなく、行きよりちょっと遅めに自転車を走らせて帰った。
空はだんだん赤くなっていく。この時間くらいになると少し涼しくなって昼より幾分過ごしやすい。今日はプールに入ったから濡れた髪に通っていく風も心地よかった。
「なぁ! アイス食って帰ろうぜ!」
「あぁいいよ」
僕はカズと共に自転車の進行方向を変えて、カズの家の方に向かった。僕らが時々買い食いするお店は「神田商店」と言う。つまりはユキの家だ。僕の家とは少し方向が違うのだけど、それでも自転車を飛ばせば十分もかからないくらいの距離なので、プールの帰りなんかは毎回と言っていい程アイスを買いに寄っていた。一日の「シメ」ってやつだ。
「あ! ユキだ! おーい!」
カズの大声は前方の後ろ姿を引き止めた。カズはユキを見つけるのが上手い。僕らが右に曲がった瞬間に遠くに見えた自転車姿を僕はユキだと全然気付けなかった。
「おーい! おーい!」
さっきまでの緩やかなスピードは何処へやら。カズは猛スピードで自転車を止めたユキの元へと自転車を走らせた。ユキはもう止まってこちらに振り返っているのに、カズは余程嬉しかったのか、追いつく瞬間まで大声を上げていた————。
「ホタルってさ、やっぱりモテたの?」
「へあ?」
三人並んでさっきよりも一段と遅く自転車をダラダラと漕いでいると、ユキが変な事を唐突に言い出すもんだから思わず変な声が出てしまった。
ユキをカズの後頭部越しに見ると、ユキもカズの頭を邪魔くさそうにしながらこっちを見ていた。
「ホタルがモテる? いやいや! モテるのはもっとこう……男らしい奴だろ!」
「あんたには聞いてない」
聞かれても無いのに僕より先に口を開いたカズは案の定、ユキに冷たくあしらわれて黙りこくった。ユキは僕の左側から照らす夕日が眩しいのか、それとも逆光で僕の顔がよく見えなかったのか、その顔を真っ赤に染めながら目を細めて僕を見ていた。
「……いや、モテないよ」
謙遜でもなんでもなく真実だ。告白なんかされた試しが無い。
「ホント? 告白とかは? されたでしょ?」
「いや、ないよ」
自分で言って何だか落ち込んで来た。僕はモテないと再認識させられているみたいだ。モテないと言うより、そんな機会がまだないだけなんじゃないのかな。だって中二だし。周りの男子も告白された奴なんて二人くらいしか知らないし。ユーヘイも告白された事無い筈だし。
「じゃあ仲いい女の子は?」
心の中で沢山の言い訳を並べて自分を慰めていると、ユキの質問で頭の中にパッとお別れ会でダンスを踊っていた佐々木の姿が思い浮かんだ。
「いた……かな?」
「どんな人?」
どんな人。佐々木はクラスでも目立つ方で、男子とも仲良く出来る数少ない女子だった。だから僕とも喋る機会が女子の中では比較的多くて、自然と仲良くなっていた。
そして、そんな珍しい女子と僕はこの学校でも出会っていた。
「ユキみたいな人かな」
「え? 私?」
細めていた目がまん丸に見開いた。自分を指差して驚いているユキに僕は軽く頷く。
「うん。ユキに似てると思う。男女関係なく話す人だったからね。前の学校はこっちみたいに男女仲良く無かったから、そういう女子ってあんまりいなくてさ」
「あ、そういうこと……」
ユキは残念そうな拍子抜けしたような何とも言えない表情で、指差していた手をハンドルに戻した。気づけば神田商店はもう目の前だった。
「おっちゃん! ソーダアイスちょーだい!」
自転車を店の前に止めて、戸を引くなりカズが声を上げた。どうやらアイスで元気を取り戻したらしいカズがユキのお父さんに手を挙げると、おじさんは僕らを見て「また来たか」と笑った。
「ただいまー」
ユキはお店の中を突っ切って奥の階段から二階に上がっていく。すれ違い様におじさんが「おかえり」とユキの頭をポンと叩く姿がカッコ良く見えた。
ユキが二階に消えると、カズは宣言通りソーダアイスをアイスケースから取り出しておじさんにお金を渡した。そう、この店は注文制ではない。なのに、いつもカズは神田商店に入る際、自分が買う物を先に伝える。本当に不思議な奴だ。
今日は僕もソーダアイスを買ってカズとお店の前にあるベンチに腰を下ろした。
「あーもうすぐ夏休みだなー」
アイスを齧りながらカズが呟く。僕らはベンチに座ったまま、ぼーっと目の前の夕焼けを見ていた。
「こっちの人は夏休み何するの?」
「ん? 友達の家でゲームしたり川釣りしたり、あとはプール行ったりとかか? 別にどこも一緒だろ?」
カズはアイスをくわえたまま僕と見合うと、眉を上げた。ゲームは良いとして、向こうでは川釣りもしないしプールは市民プールだったけど、まぁ大体予想通りだった。近くに遊園地なんかあるわけも無いしゲームセンターも無い。となればやる事はそれくらいだろう。それよりも僕はそこに虫取りが入っていない事に安心した。
「カズ。お祭り忘れてるよ」
ユキがバニラアイスを片手に店から出て来た。本当に忘れっぽいよね、とぼやきながらユキは僕らがあらかじめ一人分空けておいたとこに座った。
「そうだ! 今年は二年だから合唱か!」
カズはいきなりテンションを上げて立ち上がった。その反動でソーダアイスが棒から落ちた。
「お祭り? 合唱?」
全く話が見えていない僕は、落ちたアイスに騒いでいるカズを放っといてユキに詳しく話を聞かせてもらった。
ユキの話によると、この村では毎年八月二十一日に村を上げての夏祭りが行われるらしく、開催場所は僕らが通う学校で、生徒達は出し物で参加が伝統らしい。他にも出し物はあるらしいけど、生徒達による伝統の出し物は村の大人達もみんな経験して来たものだから、より一層期待が集まるみたいだ。ユキ曰く、自分達の子供が自分達と同じ経験をしているのを見るのは親として感慨深いものがあるんじゃないかな。らしい。とにかく村人達の多大な期待を背負って行う伝統の出し物は演目が学年ごとに決まっていて一年は「劇」二年は「合唱」三年は「踊り」だそうだ。ちなみに去年は主役のカズが台詞を忘れすぎてまるで即興劇の様になってしまい、村中の笑いを誘ったらしい。
「それは一大イベントだね。ふふっ」
僕は舞台でオロオロしながらメチャクチャな事を言っているカズを想像して、つい笑ってしまった。
「ホントに。今度は成功させないと」
ユキは「笑い事じゃなかったんだから……」と、再びソーダアイスを買って店から出て来たカズを見て溜め息をついた。
僕は別にこの村の出身ではないから祭りにも出し物にも特に思い入れは無いし、その規模も重大さもさっぱり想像がつかなかった。何だか全部他人事の様に感じながら、アイスを食べて踊っているカズを見ていた。
日曜日。昼食を終えて居間でゴロゴロしていると、カズの声が玄関先で響いた。こっちの人たちは在宅確認と言う言葉を知らない。居る、居ないに関係なく、とりあえず来る。居なかったら帰る。電話一本よこしはしない。今回はカズと約束していたから良いけど、先週の日曜は急にカズとユキが家に来てビックリしてしまった。
「……早いね」
「よう! 行こうぜ!」
半袖短パンのカズは夏真っ盛りな笑顔で玄関の中に居る。これももう慣れた事だ。
こっちの人たちは外で待たない。とりあえず中に入って来る。居なかったら帰る。父さんも鍵くらいかければ良いのにと思うけど、まぁ色々あるんだろう。
部屋から準備していたバッグを取って来て、外に置いてある自転車にまたがった。
カズはボロボロのママチャリ。僕は一昨年の誕生日に買ってもらったマウンテンバイク。カズはこれを見る度に「カッケー!」と羨ましがる。それがちょっと嬉しかった。
僕らの行き先は学校だ。プールの授業が始まってから、毎週土日にプールが開放される様になった。午前と午後に分けられ、クラスと言うより学年ごとに日にちを振り分けられて解放されるので込み合う事は無く、結構快適だった。ちなみに学校まで自転車で十五分。僕の家からの距離では自転車通学が認められないのがホントに悔やしい。
「いやー! あっちーなー!」
カズが自転車を漕ぎながら日差しを手で遮って空を見る。同じように見上げると、まるで真っ青な空に向かって走っているようだった。カズは楽しそうに遠く目の前に立ちふさがる山を指差して「今度あそこの川行こうぜ!」なんて言って来る。何でも上流では笑えるくらいに魚が釣れるのだそう。それはどうでもいいけど、何だってこいつはこんな爽やかなんだろう。僕はものの五分で汗をダラダラかいているというのに。
「……カズって暑さに強いの?」
僕はギヤを一段軽くして聞いた。
「強い? わかんね。夏は好きだぜ! でも冬も好きだなぁ。春も秋も好きだけど」
何の質問だ? とでも言いたげなカズの顔を見て理解した。こっちの人たちは温度変化に強いんだな。
「ホタル! あっちーならチャリ飛ばして風になろうぜ!」
言うや否や思いっきりペダルを漕いで加速し出すカズは「風」ではなくやっぱりカズだったので、僕は手を振ってその背中を見送った————。
「カズー! ホタルー!」
更衣室で着替えを一気に済ませてプールサイドに出ると、プールの中からスギが大きく手を振った。その横でタダシがまるで温泉にいるみたいに肩までプールに浸かっていた。
プールにはクラスの半分くらいが来ているようで、女子の輪の中にユキの姿も見つけた。ユキも僕の姿を見つけたのか、プールから上がってこっちに走って来た。
「ホタル来たんだ! 遊ぼう遊ぼう!」
ユキは屈託なく僕の腕を握った。心臓が少しだけ変になる。クラスメイトの女子の水着姿をこんな間近で見たのは初めてだった。
僕は目線のやり場に困り、とりあえず隣のカズに目を逃がすと、カズは真っ直ぐ僕の前方にその目を向けていた。
「ユキかわいいなー!」
「は?」
ユキはさっきまでの笑顔を一瞬で消した。
ユキはカズに厳しい。まぁ、こんな能天気馬鹿と十何年も一緒に居ればこういう対応になってしまうのも無理は無いと思う。でもこうやって思った事を恥ずかし気も無く言えるカズを僕は少しだけ尊敬していたりもする。鼻の下を伸ばしてユキにデレデレしている顔は気持ち悪いけど、ちょっと羨ましかった。
「ほらホタル! いこ!」
ユキは僕の腕を握ったままプールサイドを進んだ。熱を帯びたプールサイドは足の裏をどんどん乾かして、歩く度に足跡が薄くなる。由紀の足跡は僕よりも小さかった。
「ホタル! ジャンプ!」
ユキはそう言うと僕の返事を待つ事無く、プールに飛び込む。バランスを崩しながら僕も一緒に飛び込んだ。
————一瞬、心臓が止まるかと思うくらいの冷たさが全身を襲う。でも次の瞬間にはその体が冷えていく感じが逆に心地よくなって、そうなったらもうここからは出られない。
そうやってすっかり涼んだ僕にユキがいきなり顔に水をパシャっとかけてくる。だから僕もかけ返す。何故かカズも水をかけてくる。ユキは思いっきりカズに水をかける。僕はそれを見て腹を抱えて笑う。
気づけば男女みんなで遊んでいた。泳いだり、誰かが持って来たボールを投げたり。
このクラスは男女の仲が良い。僕にはそれが一番新鮮な事だった。
随分遊んだけど、みんなまだまだ元気だった。こっちの人達はみんな体力がとんでもない。まだまだ有り余っているみたいだ。
僕はちょっと休憩したくなってプールから一度出ようかと考えたけど、辺りを見回して端っこでずっと肩まで浸かっているタダシの姿を発見した。最初に見た時から位置が変わっていない。どうやら僕らが遊んでいる間もずっとそこでプールに浸かっていたみたいだ。
「タダシは遊ばないの?」
「動くと汗かくからねぇ」
横まで泳いで来た僕にタダシは心地良さそうな笑顔を向けた。
「プールで汗……かくかな? これ楽しい?」
「楽しいよぉ」
「ふーん」
僕もタダシの横で肩まで浸かりプールを眺めてみる。今もみんなが楽しそうに声を上げて遊んでいる。その中でひと際うるさいのがカズ。そしてスギもやっぱり見かけによらず声がでかい。こうして全体を見ると何だか微妙な人間関係がわかってくる気がした。そうか。タダシはこうやって楽しんでいるのか。カズは常にユキの側に居て大声で自分の存在をアピールしているし、他の男子も目線がしょっちゅう女子に向いているのが分かる。なるほどね。
「ねぇタダシ。ユキはカズの気持ちに流石に気づいてるよね?」
「ん? なにが?」
「いや……なんでもない」
タダシが何を楽しんでいるのか僕にはさっぱりわからない。
空がオレンジ色を帯びて来る頃にプールの時間は終わり、みんな全然乾き切っていない髪のままそれぞれ学校を出ていく。僕とカズはどちらともなく、行きよりちょっと遅めに自転車を走らせて帰った。
空はだんだん赤くなっていく。この時間くらいになると少し涼しくなって昼より幾分過ごしやすい。今日はプールに入ったから濡れた髪に通っていく風も心地よかった。
「なぁ! アイス食って帰ろうぜ!」
「あぁいいよ」
僕はカズと共に自転車の進行方向を変えて、カズの家の方に向かった。僕らが時々買い食いするお店は「神田商店」と言う。つまりはユキの家だ。僕の家とは少し方向が違うのだけど、それでも自転車を飛ばせば十分もかからないくらいの距離なので、プールの帰りなんかは毎回と言っていい程アイスを買いに寄っていた。一日の「シメ」ってやつだ。
「あ! ユキだ! おーい!」
カズの大声は前方の後ろ姿を引き止めた。カズはユキを見つけるのが上手い。僕らが右に曲がった瞬間に遠くに見えた自転車姿を僕はユキだと全然気付けなかった。
「おーい! おーい!」
さっきまでの緩やかなスピードは何処へやら。カズは猛スピードで自転車を止めたユキの元へと自転車を走らせた。ユキはもう止まってこちらに振り返っているのに、カズは余程嬉しかったのか、追いつく瞬間まで大声を上げていた————。
「ホタルってさ、やっぱりモテたの?」
「へあ?」
三人並んでさっきよりも一段と遅く自転車をダラダラと漕いでいると、ユキが変な事を唐突に言い出すもんだから思わず変な声が出てしまった。
ユキをカズの後頭部越しに見ると、ユキもカズの頭を邪魔くさそうにしながらこっちを見ていた。
「ホタルがモテる? いやいや! モテるのはもっとこう……男らしい奴だろ!」
「あんたには聞いてない」
聞かれても無いのに僕より先に口を開いたカズは案の定、ユキに冷たくあしらわれて黙りこくった。ユキは僕の左側から照らす夕日が眩しいのか、それとも逆光で僕の顔がよく見えなかったのか、その顔を真っ赤に染めながら目を細めて僕を見ていた。
「……いや、モテないよ」
謙遜でもなんでもなく真実だ。告白なんかされた試しが無い。
「ホント? 告白とかは? されたでしょ?」
「いや、ないよ」
自分で言って何だか落ち込んで来た。僕はモテないと再認識させられているみたいだ。モテないと言うより、そんな機会がまだないだけなんじゃないのかな。だって中二だし。周りの男子も告白された奴なんて二人くらいしか知らないし。ユーヘイも告白された事無い筈だし。
「じゃあ仲いい女の子は?」
心の中で沢山の言い訳を並べて自分を慰めていると、ユキの質問で頭の中にパッとお別れ会でダンスを踊っていた佐々木の姿が思い浮かんだ。
「いた……かな?」
「どんな人?」
どんな人。佐々木はクラスでも目立つ方で、男子とも仲良く出来る数少ない女子だった。だから僕とも喋る機会が女子の中では比較的多くて、自然と仲良くなっていた。
そして、そんな珍しい女子と僕はこの学校でも出会っていた。
「ユキみたいな人かな」
「え? 私?」
細めていた目がまん丸に見開いた。自分を指差して驚いているユキに僕は軽く頷く。
「うん。ユキに似てると思う。男女関係なく話す人だったからね。前の学校はこっちみたいに男女仲良く無かったから、そういう女子ってあんまりいなくてさ」
「あ、そういうこと……」
ユキは残念そうな拍子抜けしたような何とも言えない表情で、指差していた手をハンドルに戻した。気づけば神田商店はもう目の前だった。
「おっちゃん! ソーダアイスちょーだい!」
自転車を店の前に止めて、戸を引くなりカズが声を上げた。どうやらアイスで元気を取り戻したらしいカズがユキのお父さんに手を挙げると、おじさんは僕らを見て「また来たか」と笑った。
「ただいまー」
ユキはお店の中を突っ切って奥の階段から二階に上がっていく。すれ違い様におじさんが「おかえり」とユキの頭をポンと叩く姿がカッコ良く見えた。
ユキが二階に消えると、カズは宣言通りソーダアイスをアイスケースから取り出しておじさんにお金を渡した。そう、この店は注文制ではない。なのに、いつもカズは神田商店に入る際、自分が買う物を先に伝える。本当に不思議な奴だ。
今日は僕もソーダアイスを買ってカズとお店の前にあるベンチに腰を下ろした。
「あーもうすぐ夏休みだなー」
アイスを齧りながらカズが呟く。僕らはベンチに座ったまま、ぼーっと目の前の夕焼けを見ていた。
「こっちの人は夏休み何するの?」
「ん? 友達の家でゲームしたり川釣りしたり、あとはプール行ったりとかか? 別にどこも一緒だろ?」
カズはアイスをくわえたまま僕と見合うと、眉を上げた。ゲームは良いとして、向こうでは川釣りもしないしプールは市民プールだったけど、まぁ大体予想通りだった。近くに遊園地なんかあるわけも無いしゲームセンターも無い。となればやる事はそれくらいだろう。それよりも僕はそこに虫取りが入っていない事に安心した。
「カズ。お祭り忘れてるよ」
ユキがバニラアイスを片手に店から出て来た。本当に忘れっぽいよね、とぼやきながらユキは僕らがあらかじめ一人分空けておいたとこに座った。
「そうだ! 今年は二年だから合唱か!」
カズはいきなりテンションを上げて立ち上がった。その反動でソーダアイスが棒から落ちた。
「お祭り? 合唱?」
全く話が見えていない僕は、落ちたアイスに騒いでいるカズを放っといてユキに詳しく話を聞かせてもらった。
ユキの話によると、この村では毎年八月二十一日に村を上げての夏祭りが行われるらしく、開催場所は僕らが通う学校で、生徒達は出し物で参加が伝統らしい。他にも出し物はあるらしいけど、生徒達による伝統の出し物は村の大人達もみんな経験して来たものだから、より一層期待が集まるみたいだ。ユキ曰く、自分達の子供が自分達と同じ経験をしているのを見るのは親として感慨深いものがあるんじゃないかな。らしい。とにかく村人達の多大な期待を背負って行う伝統の出し物は演目が学年ごとに決まっていて一年は「劇」二年は「合唱」三年は「踊り」だそうだ。ちなみに去年は主役のカズが台詞を忘れすぎてまるで即興劇の様になってしまい、村中の笑いを誘ったらしい。
「それは一大イベントだね。ふふっ」
僕は舞台でオロオロしながらメチャクチャな事を言っているカズを想像して、つい笑ってしまった。
「ホントに。今度は成功させないと」
ユキは「笑い事じゃなかったんだから……」と、再びソーダアイスを買って店から出て来たカズを見て溜め息をついた。
僕は別にこの村の出身ではないから祭りにも出し物にも特に思い入れは無いし、その規模も重大さもさっぱり想像がつかなかった。何だか全部他人事の様に感じながら、アイスを食べて踊っているカズを見ていた。