八月の蛍、あの夏の歌
9
翌日の放課後。僕は宮沢先生に呼ばれて一人、音楽室に来ていた。
「そんなに難しくないでしょ?」
「まぁ確かにそうですけど」
僕は渡された楽譜をペラペラめくりながら答える。先生はうんうんと頷くと、ピアノの鍵盤蓋を開けて演奏を始めた。僕は先生の隣に置いた椅子に座り、音に耳を集中させながら渡された楽譜を目で追っていく。
なんて事は無い。ありきたりな合唱曲だった。
「これ、合唱の映像か録音した音源ってありますか? 練習でも何でも良いんですけど」
演奏が終わって、僕は楽譜から顔を上げた。伴奏の方は特に問題なさそうだった。後は歌入りを聞いてイメージを掴めばそれで十分。練習の必要もほとんどなさそうだ。
「もちろん。きっと映像の方がいいわよね」
先生は立ち上がって、黒板の横にある棚から一本のビデオテープを取り出すと、デッキに突っ込んでテレビのスイッチを入れた。画面に映し出された映像は音楽室に今の三年生が並んでいるものだった。つまりは去年の二年生の練習だ。
指揮者が指揮棒を掲げると、少し騒がしかった生徒達はみんな話すのを止めて姿勢を正した。指揮者が四拍とってピアノの前奏が始まると、やがて歌が入ってくる。
何だろう。この聞いた事ある感じ。先生の演奏でも何となく感じたけど、歌が入ると一層その感じは濃くなった。
「————先生。この曲ってもしかして有名だったりします?」
合唱の映像が終わり、デッキからテープを取り出す先生に僕は頭にモヤモヤを抱えながら聞いてみた。
「有名なわけないじゃない。この学校のオリジナルよ」
「そうですか」
「何? 知ってたの?」
「いや、知りません」
どうやらこのありふれたコード進行と単純なメロディー、そしてありきたりな青春系の歌詞のせいで色々混ざってしまったみたいだ。なんで合唱曲ってこういうのが多いんだろう。タイトルも似たようなのばっかりだし。区別がつかない。あ、そういえば。
「これ、なんていうタイトルなんですか?」
「僕らはいつまでも。よ」
やっぱりそういうタイトルか。色々わかりやすいけど、ありきたりすぎて逆に覚えにくそうだ。
これは思ったより反復練習が必要かも、と溜め息をつく。とりあえず帰ったら一回弾いてみる事にした。
「そのビデオ借りていっていいですか?」
「もちろんいいわよ。あらなに? 気に入っちゃったの?」
先生は嫌な笑みを浮かべてテープを渡して来た。僕はそれを受け取りながら、そんなわけあるはずがない。ありきたりすぎて色々とごちゃ混ぜになっちゃいそうだから借りていくだけです。と喉まででかかった言葉をグッと飲み込んで、かわりの言葉を口先で話した。
「まぁ……少しだけ。良い曲ですね」
一応、ちょっとは本音だった。と思う。
音楽室を出て教室に戻ると、カズとユキが僕を待っていた。
「ホタル! 終わったか! 神田商店でアイス食ってこうぜ!」
カズが座っていた机の上から勢い良く下りる。ユキが元気を取り戻したからか、カズは朝から上機嫌だった。
「なんだ。待っててくれたの? それじゃ食べてこうか」
「よっしゃ! 決まり!」
「あ、カズ! ちょっと!」
颯爽と教室を飛び出すカズをユキが追いかける。僕も机に掛けていた鞄に楽譜とビデオテープを乱暴に突っ込んで、教室を出た。
「————伴奏教えてもらったんでしょ? どうだった?」
ユキは昨日の帰り道とはまるで別人の様に笑って聞いてきた。その笑顔がいつも通りだったから、何だか僕もホッとした。
「まぁ普通。かな。大丈夫そうだよ」
「じゃ、これから始まる練習から弾くのか?」
「まさか。それは先生がやるだろ。授業なんだから」
僕は、バカな事を言い出すカズを冷たくあしらって、ふと自分がまるでユキみたいになっている事に気づいた。
「ホタルもカズの扱いが慣れて来たねー! 良い調子!」
ユキの言葉に納得する。どうやらカズを冷たくあしらうのは仲良くなった証拠みたいだ。僕もこいつに変に気を使わなくなったって事なんだろう。
「でも、練習か。そういえば、この曲って毎年お祭りでやってるんでしょ? だったらもうみんな歌えるんじゃない?」
「うーんまぁ大体はね。なんとなくなら歌えるかな。でもせっかくの晴れ舞台だから合唱に限らず出しもの全部毎回、歴代最高を目指してすっごい練習するんだよ? なんたって一年に一度の行事なんだから! 特に私たちは去年がもうひどかったから今年は大成功したいって女子はみんな言ってるよ! ほんと……去年はひどかったから」
ユキは隣で鼻をほじっているカズの間抜け面を見て、溜め息をついた。
そこまでひどかったのか去年は。きっとカズは今回もネックになると女子の中では思われているんだろうな。そりゃ、あの歌を聴けば不安になるのも無理は無い。他のみんながカズの声をかき消すぐらいに頑張れば何とかなるだろうか。いや、それも無理だ。なんたってカズは声だけはバカでかい。うん。やっぱりカズがしっかり歌うしか道はなさそうだ。
カズ、頑張れ。
「ん? ホタル何か言ったか?」
「いや、何も」
「ん? そっか。なぁユキ! 今日は俺、チョコアイスにする!」
野生の勘は心の声までも嗅ぎ取るのか。だったらもっとみんなの心配の声に気づけばいいのに。
僕は楽しそうにユキにあしらわれているカズを見て溜め息をついた。
しかし、そんな心配の種は翌日の音楽の授業で見事に消し飛んだ————。
「そんなに難しくないでしょ?」
「まぁ確かにそうですけど」
僕は渡された楽譜をペラペラめくりながら答える。先生はうんうんと頷くと、ピアノの鍵盤蓋を開けて演奏を始めた。僕は先生の隣に置いた椅子に座り、音に耳を集中させながら渡された楽譜を目で追っていく。
なんて事は無い。ありきたりな合唱曲だった。
「これ、合唱の映像か録音した音源ってありますか? 練習でも何でも良いんですけど」
演奏が終わって、僕は楽譜から顔を上げた。伴奏の方は特に問題なさそうだった。後は歌入りを聞いてイメージを掴めばそれで十分。練習の必要もほとんどなさそうだ。
「もちろん。きっと映像の方がいいわよね」
先生は立ち上がって、黒板の横にある棚から一本のビデオテープを取り出すと、デッキに突っ込んでテレビのスイッチを入れた。画面に映し出された映像は音楽室に今の三年生が並んでいるものだった。つまりは去年の二年生の練習だ。
指揮者が指揮棒を掲げると、少し騒がしかった生徒達はみんな話すのを止めて姿勢を正した。指揮者が四拍とってピアノの前奏が始まると、やがて歌が入ってくる。
何だろう。この聞いた事ある感じ。先生の演奏でも何となく感じたけど、歌が入ると一層その感じは濃くなった。
「————先生。この曲ってもしかして有名だったりします?」
合唱の映像が終わり、デッキからテープを取り出す先生に僕は頭にモヤモヤを抱えながら聞いてみた。
「有名なわけないじゃない。この学校のオリジナルよ」
「そうですか」
「何? 知ってたの?」
「いや、知りません」
どうやらこのありふれたコード進行と単純なメロディー、そしてありきたりな青春系の歌詞のせいで色々混ざってしまったみたいだ。なんで合唱曲ってこういうのが多いんだろう。タイトルも似たようなのばっかりだし。区別がつかない。あ、そういえば。
「これ、なんていうタイトルなんですか?」
「僕らはいつまでも。よ」
やっぱりそういうタイトルか。色々わかりやすいけど、ありきたりすぎて逆に覚えにくそうだ。
これは思ったより反復練習が必要かも、と溜め息をつく。とりあえず帰ったら一回弾いてみる事にした。
「そのビデオ借りていっていいですか?」
「もちろんいいわよ。あらなに? 気に入っちゃったの?」
先生は嫌な笑みを浮かべてテープを渡して来た。僕はそれを受け取りながら、そんなわけあるはずがない。ありきたりすぎて色々とごちゃ混ぜになっちゃいそうだから借りていくだけです。と喉まででかかった言葉をグッと飲み込んで、かわりの言葉を口先で話した。
「まぁ……少しだけ。良い曲ですね」
一応、ちょっとは本音だった。と思う。
音楽室を出て教室に戻ると、カズとユキが僕を待っていた。
「ホタル! 終わったか! 神田商店でアイス食ってこうぜ!」
カズが座っていた机の上から勢い良く下りる。ユキが元気を取り戻したからか、カズは朝から上機嫌だった。
「なんだ。待っててくれたの? それじゃ食べてこうか」
「よっしゃ! 決まり!」
「あ、カズ! ちょっと!」
颯爽と教室を飛び出すカズをユキが追いかける。僕も机に掛けていた鞄に楽譜とビデオテープを乱暴に突っ込んで、教室を出た。
「————伴奏教えてもらったんでしょ? どうだった?」
ユキは昨日の帰り道とはまるで別人の様に笑って聞いてきた。その笑顔がいつも通りだったから、何だか僕もホッとした。
「まぁ普通。かな。大丈夫そうだよ」
「じゃ、これから始まる練習から弾くのか?」
「まさか。それは先生がやるだろ。授業なんだから」
僕は、バカな事を言い出すカズを冷たくあしらって、ふと自分がまるでユキみたいになっている事に気づいた。
「ホタルもカズの扱いが慣れて来たねー! 良い調子!」
ユキの言葉に納得する。どうやらカズを冷たくあしらうのは仲良くなった証拠みたいだ。僕もこいつに変に気を使わなくなったって事なんだろう。
「でも、練習か。そういえば、この曲って毎年お祭りでやってるんでしょ? だったらもうみんな歌えるんじゃない?」
「うーんまぁ大体はね。なんとなくなら歌えるかな。でもせっかくの晴れ舞台だから合唱に限らず出しもの全部毎回、歴代最高を目指してすっごい練習するんだよ? なんたって一年に一度の行事なんだから! 特に私たちは去年がもうひどかったから今年は大成功したいって女子はみんな言ってるよ! ほんと……去年はひどかったから」
ユキは隣で鼻をほじっているカズの間抜け面を見て、溜め息をついた。
そこまでひどかったのか去年は。きっとカズは今回もネックになると女子の中では思われているんだろうな。そりゃ、あの歌を聴けば不安になるのも無理は無い。他のみんながカズの声をかき消すぐらいに頑張れば何とかなるだろうか。いや、それも無理だ。なんたってカズは声だけはバカでかい。うん。やっぱりカズがしっかり歌うしか道はなさそうだ。
カズ、頑張れ。
「ん? ホタル何か言ったか?」
「いや、何も」
「ん? そっか。なぁユキ! 今日は俺、チョコアイスにする!」
野生の勘は心の声までも嗅ぎ取るのか。だったらもっとみんなの心配の声に気づけばいいのに。
僕は楽しそうにユキにあしらわれているカズを見て溜め息をついた。
しかし、そんな心配の種は翌日の音楽の授業で見事に消し飛んだ————。