まどろみ3秒前
歩き続けると、やっと見慣れた道へ戻ってこれた。
「ありがとう、東花」
ああ、もう当分は学校に行っても東花と話すことは気まずくなってしまう予感がした。まあ別にクラスメイト以上の関係もないのだし、どうだっていい。
「翠はさ。俺の名前、知ってんの」
「…下の名前?」
急なことだった。恐る恐ると聞き返すと、「そ」と彼は頷いた。忘れた、とか色んな言い訳が考えられる。本当は、興味がなくて知る理由がなかったからだ。
「…えと、漢字読めなくて」
言い訳をすると、ぷっ…と彼は笑い吹き出した。初めて見た、東花の笑顔だった。
「お前、そんなのも読めないの?」
東花が笑ってしまうほど、それほどに東花の下の名前は簡単に読めるのだろうか。少しイライラする私は、耳を澄ませて聞いた。
「夕《ゆう》」
まるで用意されていたかのように、その瞬間に風が吹く。スカートがなびいて揺れる。
「どう?初めて知った感想は」
「…なんか、すごい」
「ふはは。お前まじで嘘つきだな。俺のこと別に興味ないから名前知ろうとしなかったんだろ?もう2月だぞ?そろそろクラスメイトの名前くらい覚えろバカが」
東花の言うことが当たりすぎていて、答えられなくなる。東花はまたそんな私を見て、ふっと笑った。
「まあ、いいけど」
どこか寂しそうに息を吐き、東花は私達が歩いてきた道を、再び歩き出した。
長く歩いてきた道を、また引き返すのだ。東花の塾は、きっと時間で遅れるだろう。