私と彼の溺愛練習帳
「なに、その頭!」
 見るなり、愛鈴咲は嘲笑った。
 雪音は答えず、靴を脱いだ。
 愛鈴咲はつまらなさそうに、ふんと鼻を鳴らした。

「これ、明日までに洗って!」
「自分で洗いなさいよ」
 突き出された服を見もせずに雪音は答えた。

「あんた、誰のおかげで生きてこられたと思ってるのよ!」
 愛鈴咲が声を荒げる。
「父親が死んで母親に捨てられて、うちのお父さんとお母さんがいなかったらあんたなんて野たれ死んでたんだから!」
 雪音はぎっと愛鈴咲をにらんだ。

「な、なによ、本当のことじゃない」
「お母さんは私を捨ててない!」
「だったらなんで戻ってこないのよ」
「なにを騒いでるの」
 太った叔母が出てきて、雪音を見て顔をしかめた。

「なんだ、帰って来たの」
「私の家だから」
 雪音の両親が建てた家だ。
 父が死んだときに母は保険でローンを全額返済した。そのとき、お父さんのくれた家よ、と母は寂しく微笑んだ。
 母は忙しく働き、だけど雪音はさみしくなんかなかった。

 お父さんのくれた家だ。
 そう思うだけで心が温かくて、必ず帰ってきてくれる母がいるのだから、それでいいと雪音は思った。もちろん、お父さんが生きていてくれたらそのほうが良かったけれど。

 父の死後のある日、母が帰って来なくなった。
 一週間後、叔母一家が転居してきた。彼女の面倒をみるという名目で。
 以来、叔母一家は彼女の家を占拠して今に至る。

「生活費、足りないんだけど」
 叔母の久美子に言われて、雪音は顔をしかめる。
「今月分、10万入れましたよね」
「光熱費も物価も上がってるのよ。今まで通りでいいと思わないで」
 彼女はなにかにつけて金を要求してくる。
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