私と彼の溺愛練習帳
 聞いてはいけない。きっと、よくない話だ。
 そのまま家まで走って帰る。
 玄関に入るとセンサーでライトが点灯した。
 閃理は迎えに来なかった。人の気配がないから、仕事で出ているのだろう。

 雪音はうずくまる。
 息は荒く、胸が激しく上下する。肺も心臓も痛いくらいだった。
 美和と氷の話をしたことが蘇る。
 薄氷だ。
 女性はそれを踏み抜きに来た。
 雪音はどうしたらいいのかわからず、ただ荒い呼吸を繰り返した。



 砂色の髪の男性は翌日も現れた。
 とっさに逃げようとしたが、後ろにも別のスーツの男性がいて、つかまった。
「離して!」
 叫んで抵抗するが、黒いバンに押し込められる。
 見ている人はいたのに、誰も助けてはくれなかった。

 結局、こうだ。閃理以外に助けてくれる人はいないのだ。
 雪音は歯噛みした。
 スマホを出そうとして、ためらう。
 出してもきっとすぐに取り上げられる。

「おとなしくすればなにもしません」
 砂色の髪の男性はそう言った。
 実際、雪音がじっとしていると、男たちは見張るだけでなにもしてこない。

 バンは高級そうなホテルのロータリーに止まった。
 雪音はそこで降ろされ、男たちに囲まれてエレベーターに乗る。
 高そうなレストランに連れられ、個室に案内された。曲線を多用したヨーロピアンな内装だった。
 個室では金髪の美女が優雅に腰掛けていた。

 真っ青なワンピースを着ていた。こんな色は自信がなければ着られないと思った。波を打つ豊かな金髪が照明にきらめく。ビー玉のような青い瞳に、女優のような白い頬。スリムな体に豊かな胸、長い手足。

 閃理より年上に見えるが、海外の人は日本人より年上に見えると聞くから、彼と同じくらいの歳なのだろう。
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