私と彼の溺愛練習帳
「家柄も年齢も見た目も、なにもかも不釣り合いです。傷は浅い方がいいでしょう」
 彼は懐から封筒を取り出した。けっこうな厚みがある。

「百万あります。お納めください」
「……手切れ金ですか」
「こちらの気持ちです」
「安い気持ちですね」
 雪音は封筒を押し返した。

 通訳が訳すと、ジュスティンヌはあきれたように大きく両手を広げてつぶやいた。
「つきあい続けるなら慰謝料を請求するそうです。結婚式の相談もあって来日されたので、そろそろ彼の身の回りを整理しておきたいそうですよ」

 閃理が結婚式場のパンフレットを持っていたのを思い出した。撮影の仕事で、と言っていた。だけど、違うのだろうか。整理しなければならないほど女性がいるのだろうか。忙しくなったのは結婚の準備のためなのだろうか。

 ドローンのダンスを見に行ったとき、彼は女性に囲まれていた。その後、女性と一緒にドローンを見に来ていた。あきらかな敵意、あれは女性としての敵意だ。彼は恋人を何人も持って平気な人だったのだろうか。

 ジュスティンヌがさらになにかを言った。
「しばらくお待ちいただけるそうです。数日後、またこちらからおたずねします」
 話は一方的に打ち切られた。
 来たときと同じバンに乗せられて、雪音は駅前で放り出された。

 屈辱に、歯をくいしばった。
 幸せは、やはり長くは続かないのだ。
 惨苦は、今度は美しい女性の形をして雪音を突き落としに来た。

 自分には、屈することしかできないのか。
 今度も閃理が助けてくれるのだろうか。
 閃理にすがってばかりで、それでいいのだろうか。
 ぐっと拳を握ると、手に爪が食い込んだ。



 連絡もなく帰りが遅くなった雪音に、閃理はそれでも「おかえり」と迎えてくれた。
「残業だったの?」
「お客さんが帰ってくれなくて」
 雪音はごまかすように言った。
「接客業って大変だね。僕、自営で良かった」
< 120 / 192 >

この作品をシェア

pagetop