私と彼の溺愛練習帳
 氷の上だ、と雪音は思った。
 厚さの定かでない氷。その上に自分はいる。
 氷が厚ければ無事に歩いて行ける。薄ければ割れて冷たい水に溺れることになる。雪音にはそれを確かめるすべがない。

 いっそ、自分から割ってしまえば。
 他人に踏まれるのではなく、自分から。
 覚悟を決めて飛び込めば、冷水にも耐えられるかもしれない。

 ならば、最後に一番の幸福を得てからにしたい。
 今まで、避けて通っていた。
 だが、彼となら、きっとそれはどうあっても幸せだ。だから。

 雪音は空を見た。どんよりと曇っていて、月も星も見えない。
 雪音は知らなかった。
 分厚い雲の向こうにあるのは、欠けきった新月だった。



 帰ったら雪音が先にシャワーを浴びた。その間に閃理はドローンをかたづけた。
 雪音が出たあとに、閃理もシャワーを浴びる。
 閃理が浴室を出ると、雪音は神妙な顔でソファに座っていた。
 閃理を見て、雪音は顔をこわばらせた。

「どうしたの?」
 雪音はためらうように床に視線を落とす。
 それから、意を決したように閃理を見た。

「私の体に価値はありますか?」
「あるよ。だけど急にそんなこと聞いて、どうしたの」
 雪音は立ち上がり、閃理に抱き着いた。

「じゃあ、私を抱いてください」
 閃理は唖然として彼女を見つめた。
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