私と彼の溺愛練習帳
「ただいま」
声をかけて、雪音は玄関に入る。
返事はなかった。
センサーが作動し、ライトが点灯する。
空気が動く気配はなく、胸がざわついた。
「閃理さん、いる?」
やはり答えはない。
仕事部屋も私室も返事はなかった。スマホにもなんの連絡もない。
「きっと仕事。すぐ帰るつもりだから連絡がないだけよ」
自分に言い聞かせ、シャワーを浴びる。
一人で髪を乾かし、二人分の料理を作った。
迷ってから、雪音はスマホでメッセージを送った。
ごはん作ったよ。先に食べるね。
送信して、食べ始める。食べる音が妙に響くのが嫌で、リビングのテレビをつけた。
が、なにも頭に入ってこない。
お笑いタレントがわざと転んで周囲の笑いを誘っていた。
なにがおもしろいのか、さっぱりわからなかった。
食べ終わっても返信はなかった。
打ち合わせが長引いてるのよ。
雪音はテレビを消して部屋に戻った。
チェストの上の小さなアクセサリーケースを開ける。
中にあるのは、雪の結晶のピアス。
手に取ると、ひんやりと固い感触が伝わった。
閃理でも間違えることはある。だったら連絡を忘れることもあるだろう。連絡したつもりで忘れていたなんてのもよくあることだ。
帰ったときに僕がいなくても心配しないでね。
彼はそう言っていた。
帰って来るのよね、と聞いたら、もちろん、と答えてくれた。
だから大丈夫。
どれだけ自分を説得しても、不安は無限の泉のように湧いてくる。
もうなにも考えたくない。
ピアスをケースに戻し、ベッドにもぐりこんだ。