私と彼の溺愛練習帳
 閃理は素直に寂しかった。いつも写真を撮るために外国にいて、ちっとも自分のそばにはいてくれない。
 パリのマンションは窮屈だが、母が身近に感じられて好きだった。郊外にある祖父母の城は広くて楽しかった。夜になると少し……ほんの少し怖くて、閃理は母から離れなかった。
 父方の祖父母はもう亡くなっていて、閃理は顔も知らなかった。

 夏にはニースに行き、海水浴を楽しんだ。かつて飛び込み台だったレストランで食事をして、母はワインを飲んで笑った。
 旧市街は迷路のようでどきどきしたし、美術館の見事な品々にはため息が漏れた。
ときには父も合流し、楽しい夏休みになった。



 ジュスティンヌとはニースで知り合った。
 彼女はプライベートビーチに迷い込んで泣いていた。
「どうしたの?」
 閃理が声をかけると、ジュスティンヌは泣くのをやめてぽかんと彼を見た。

「あなた……天使?」
「違うよ。センリ=ユベール・カザミだよ」
「いいえ、天使よ」
 金髪にヘーゼルの瞳の彼を見て、彼女は断言した。閃理の髪は成長するにつれて茶味を帯びたが、小さい頃は金色をしていた。

 閃理と一緒にいた母は、ジュスティンヌが迷子だとすぐに気づいた。
 母は彼女の家族を見つけ、送り届けた。
 母同士が意気投合し、以来、夏になると彼女の家族と海へ遊びに行った。

「私、ユベールと結婚するわ」
 幼いジュスティンヌは無邪気にそう言った。
 彼女はいつもセカンドネームで閃理を呼んだ。そのほうが呼びやすかったから。

「そうなったら楽しいわね」
 母はふんわりと笑った。
「僕はお母さんと結婚するから」
 閃理が言うと、うれしいわ、と母はまた笑った。

 閃理が学校に通う前年、母は日本へ引っ越すと言った。
 彼の国籍は日本だったし、いつか移住する予定でもいた。
 母は、愛する人の帰る場所を彼の国で作りたいの、と言った。

 私は日本が大好きなの。伝統を大事にして、なのに新しい物好きで。神道も仏教もキリスト教もごっちゃにして、楽しく取り入れる柔軟性も素敵よ。
 祖父母と離れるのは寂しいが、父の故郷に住むことにわくわくしていた。
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