私と彼の溺愛練習帳
 元気か。俺は今ブラジルにいる。
 たいていそれだけだった。国は様々だった。アメリカだったり、エジプトだったりした。
 写真なんかいらなかった。
 母を失って悲しいとき、そばにいてほしかった。

 父の写真は寂寞(せきばく)を感じさせるようになっていた。母がいないからだ、と閃理にはわかった。皮肉にも世間の評価が上がった。郷愁があっていいですね。評論家の一人はそう言った。

 閃理からはまったく違って見えた。母からの愛に(かつ)え、求め、なのに得られない絶望。

 写真は彼の愛なのよ。
 そう言って笑う母の姿が脳裏にあったから、送られた写真を捨てられなかった。データで保存し、二度と見なかった。

 帰っても、いつも家には一人だった。
 ただいまと呼びかけても応えのない家。空気は白々しく、世界に一人でいるような孤独感。空虚な、自分すらあやふやになる感覚。
 友達にも教師にも言えなかった。祖父母にはなおさら言えなかった。あえて明るくふるまい、気を遣わせないようにした。だからこそ疲れ果て、孤独は増した。

 誰も自分の本当の心をわかってくれない。
 自分が壁を作っているから当然のことだ。だが、それでもわかってほしい。
 矛盾を抱え、逃げるように空撮にのめり込んだ。それだけが父との繋がりであり、閃理と現実を結び付ける命綱だった。

 ある日、なんとなく空撮動画をネットにアップした。
 いろんな人に評価され、コメントされた。外見も経歴も関係のない評価に、心が浮き立った。
 それ以来さらに空撮に力を入れた。
 徐々に評価され、仕事の依頼を貰えるほどになった。動画の賞をもらうことも何度かあった。

 大学ではドローン部で征武と知り合った。レースに参加したのもこのころだ。
 卒業後、征武とドローン撮影の仕事を始めた。苦労もあったが順調に進んで来たと思う。
 複雑な気持ちになることもあった。
 自分を置いて行った父の技術で道が開けたようだったから。

 さらに空撮にのめり込んだ。父は写真、自分は空撮動画。違うのだと言いたかった。ただの閃理で仕事をしたかった。だから仕事のときはSENRIを名乗った。

 夏になるとフランスに行った。祖父母はいつも歓迎してくれた。征武を連れて行って紹介した。人懐っこい彼は言葉も通じないのにすぐに祖父母と打ち解けた。
< 145 / 192 >

この作品をシェア

pagetop