私と彼の溺愛練習帳
 ジュスティンヌが城に遊びにくるのだけが余分だった。
 彼女は征武を嫌った。ただ日本人、東洋人であるというだけで。
 彼女は純血の白人であることを誇り、他の人種を見下していて不快だった。閃理だけを例外にしていて、不快さに輪をかけた。

「婚約しましょう。あなたの祖父母にも了解を得たわ」
 あるとき、ジュスティンヌはメールでそう言った。彼女が言う祖父母は母方の祖父母のことだ。
 閃理は祖父母からなにも言われていない。

「断る」
 閃理はそう返した。
 すると、ありえないメールが来た。

「私たちの結婚はお母様の御遺言よ」
 その発言(メール)は閃理の逆鱗に触れた。

 母が二人を結婚させようとしたことなど一度もない。幼少期に、もし結婚したら楽しいわね、と言った程度だ。拡大解釈にもほどがある。母を利用するジュスティンヌを許せなかった。
 だから返信しなかった。メールを全削除した。もはや存在をなかったことにした。

 雪音に出会ったのはそのあとのことだ。
 すぐに心惹かれた。
 なにかの隙間を埋めるように、彼女を甘やかした。戸惑う彼女も、徐々に心を開く彼女も、なにもかもが愛おしかった。欠けていたなにかが埋まっていく充足感があった。

 自分の話はしたくなかった。なんのカテゴリにも属さない、ただの閃理として見てほしかった。
 閃理が返事をしないからか、ジュスティンヌが会いに来た。

 婚約をはっきり断った。愛する人がいるから、と。
 ジュスティンヌはごちゃごちゃとなにかを言っていたが、すべて切り捨てた。それで終わったと思っていた。だから雪音に詳しくは話さなかった。心配をかけたくなかったから。

「雪音さん……今どこに」
 今なら、写真をすべて処分した父の気持ちがわかる。

 父もまた悲しかったのだ。愛の痕跡を見ていられないほどに傷付いていた。だからすべてを処分して、閃理を残して旅に出た。だが、彼は閃理を……愛する息子を残していく罪悪を常に心に持っていた。母への愛の渇望だけではなく、だから写真は(かげ)りを帯びるようになったのだろう。
 右上の小さなバツを押して、閃理はブラウザを閉じた。

 僕はまだ失っていない。必ず彼女を連れて帰る。
 仕事部屋を出てコーヒーを淹れ、ブラックで飲んだ。苦い味に、舌がしびれた。
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