私と彼の溺愛練習帳



 翌日、閃理は電話をかけた。いつか雪音と訪れた会社の水崎に。
 挨拶をして、雪音からの連絡の有無を尋ねる。
「お嬢さんから聞いてませんか?」
「なにかわかったんですね?」
「八王子へ営業に行ったはずだと伝えたら、そこに行ってみると」
 閃理は詳しい場所を聞き、礼を言って電話を切った。

 すぐに車で向かい、各工場を回る。アポがなかったせいか、対応してもらえないときもあった。土曜だから稼働していない工場もあった。

 最後に行った工場も対応は冷たかった。
「前もそういう人が来たけどね。迷惑なんだよね」
 若い男はそう言った。
 もうダメか。だが、雪音さんが来たことはわかった。
 そう思いながら二枚のプリントアウトを見せる。雪音と、雪音を加工した母と思われる人物の画像だ。

「来たのはこちらの人ですか?」
「そうだよ」
「もう一人の女性を見たことはありませんか?」
「これ……ちょっと待って」
 彼は応接室を慌てて出て行った。

***

 中年の女性ナースはいつもの巡回でその患者を訪れた。
 二十年ほど前から入院している植物状態の患者だ。身元がわからず名前は仮に栄子と名付けられていた。A子を漢字に変えただけだな、と思った。

 誰の面会もなく、ずっと一人だ。
 ただ生き続けることに意味があるのかな、と彼女は疑問に思う。
 植物状態の患者のほとんどは半年以内に亡くなるという。五年以上も生存できるのは四分の一ほどだ。

 患者ははじめ、八王子の病院にいた。植物状態ならばこちらの病院がいいだろう、と移されたのだという。
 彼女はがんばっているんだ、と医師は言った。
 彼女ががんばっているなら、その理由はどこにあるのだろう。どこかに彼女を待つ人はいるのだろうか。

 だが、ずっとこの状態なのだ。もう意識を取り戻すことはないのだろう。
 かわいそうに思うが、自分にはなにもできない。
 ただ仕事として、今日もお世話をする。それだけのことだった。

 午後になると、若い女性が面会にやってきた。
「行方不明の母に似た人が入院していると聞いたんです」

 そんな人が来るなんて初めてだ。まさか見つかる瞬間に立ち会うことになるのかしら?
 不謹慎だが、どきどきした。
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