私と彼の溺愛練習帳
「恋人は?」
 聞かれて、雪音はどきっとした。
「急になによ。今そんな話、いいじゃない」
「うまくいってないの?」
 ごまかそうとしたのに、そのせいで母にばれた。

「思ったことはちゃんと言いなさいよ。でないと、手遅れになるのよ」
「うん……」
「お母さんはね、お父さんに伝えきれなかったことがたくさんあるの。もっと話をしていたら良かった。でもきっと、どれだけ話しても同じ後悔があると思うわ。あやうく、あなたともそうなるところだった」
 とぎれとぎれに、母はそう言った。

 小さい頃に父は旅立ったから、いないのが当たり前になっていた。
 もし父がいたら、と思うことは何度もあった。
 お母さんと遊びにいったこと、花がきれいだったこと、ハトが一斉に飛び立って音がすごかったこと。そんなたわいもない楽しかったことをたくさん話したかった。

「お父さんに置いて逝かれて、お母さんはすごく悲しかったの。だけどあなたがいたから頑張れたわ」
 自分も、と思う。
 自分も、母に置いて行かれたと思ったとき、悲しかった。寂しさも怒りも困惑も、いろんな感情が渦巻いて、ただただ泣きわめいていた。黙っていなくなるなんてひどい、といない母を責めた。

 一緒に探そうと言ってくれた閃理。
 彼が言ってくれなければ探そうとは思わなかった。再会もできなかっただろう。
 それなのに。
 雪音はうつむいた。
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