私と彼の溺愛練習帳
「不幸が連続するでしょう。それは小さなことから始まります。変な音や声が聞こえませんでしたか?」
「聞こえたわ……」
 久美子が青ざめた。
「まだ今なら間に合います。もとの持ち主の娘に家を渡して引っ越ししなさい。付随する金銭はあなたがたが払わなければなりません。修繕費も必要です。でないと一生とりつかれますよ」

「お、お祓いとか。そうよ、お坊さんなんだから、お祓いしていってよ!」
「私にはお祓いはできません」
 老僧は答える。お祓いは神道の考え方だ。仏教なら厄除けや加持祈祷という言葉になるところだが、老僧はそれを説明しない。

「どのみち、お祓いのたぐいは効果がないでしょう。しばらく前までは直系の血族がいたのでおとなしくしていたようですが、現在は抑えがなくなったようです。家を渡して引っ越すのが一番ですよ」
 念を押すように、老僧は言う。

 久美子はショックで言葉を失くした。
「忠告はいたしましたので、失礼いたします」
 老僧は両手を合わせて礼をした。近くに車が止めてあり、それに乗りこんで去って行った。

「幽霊にとりつかれてるなんて」
「もういい加減にしろ。我慢も限界だ」
 紀之は久美子に冷たい目を送った。

「お前の幻覚だろ」
「この目で人魂を見たのよ!」
「見たのはお前だけだ。さっさと病院に行け」
「夫なのに信じてくれないの!?」
「病院へ行かないなら離婚だ」
「そんな!」
「家の名義も変えろ。それで徐霊だかなんだかできるんなら御の字だろ」
 言い捨てて、紀之は靴を履いた。

「どこ行くのよ!」
「お前が手続きをするまで帰らない。ここは俺の帰る家じゃない!」
 紀之は出て行った。
「とりつかれたんだわ。悪いことがこれから重なるんだわ」
 久美子はただ震えた。
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