私と彼の溺愛練習帳
 おじさんに腕をつかまれた。
「あんた、失礼だなあ。あ!?」
 おじさんが大声を出す。
 周囲の人が一斉に自分を見た。

「きいたことにちゃんと答えろや!」
 う、と言葉につまる。ここだけ聞かれたら、自分に非があるように思われかねない。が、こらえて頭を下げた。
「申し訳ございません」
「ちゃんと下げろ!」
 ぐっと頭を押さえつけられる。頭皮をつかむ指の感触が不愉快だった。

「そこまでにしなよ」
 涼やかな声が聞こえ、押さえつける手が離れた。
 顔をあげると、閃理がそこにいた。
 どうしてここにいるのだろう。いるだけならまだしも、男の腕をひねりあげている。

「見てたよ、セクハラしてたの。頭を押さえつけるのは暴力だ。警察を呼ぼうか」
 閃理は冷たく男に言う。
「なんだてめえ!」
 男が叫ぶと、閃理はさらに男の腕をひねった。

「いてえ! やめろ!」
「お、お客様」
 雪音はおろおろと声をかけた。
 閃理が手を離すと、男は逃げるように足早に去って行った。

「雪音さん、ここで働いてるんだ?」
 彼はやわらかく笑った。
 雪音は思わず見とれてしまい、言葉をなくした。

「また会えてよかった。心配してたんだ。スマホは着拒されちゃったし」
「……ごめんなさい」
 それ以外、なにを言えばいいのかわからなかった。

「勇敢だね」
「見てたんですか」
「口を出していいのかわからなくて困ってた」
「助けてくださってありがとうございます」
 本来ならお客様に助けてもらうなどあってはならないことだ。だが、助かった。

「このフロアの担当なの?」
「そうです。洗濯機とか……」
 一階はスマホや美容家電、二階は洗濯機などの生活家電がメインだ。

「僕はドローンを見に来たんだけどね。あなたが見えたから」
「ドローンは五階です。パソコン売り場の隣にあります」
「知ってるよ」
 彼はまた笑った。天井からの光が急にまぶしく思えて、雪音は目を細めた。
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