私と彼の溺愛練習帳
「私の家です!」
 雪音は叫ぶ。
「とっくに私のものだから」

「そんなわけないです!」
「あんたバカなの。あんたの母親が行方不明になって七年以上たってるのよ。死亡宣告の手続きをして、この家も土地も私が譲り受けたの。名実ともに私の家よ。あんたの家じゃないわ」
 正しくは失踪宣告だ。

「なによそれ!」
 雪音は愕然とした。
 そんな手続き、娘である雪音を放ってできるはずがない。
 だが、久美子と母は姉妹だ。だからこそ、それができたのかもしれない。あるいは、愛鈴咲を雪音になりすませたのか。

「ひどい……」
 なんていう人たちだろう。実の姉の財産を掠めとることに迷いがない。雪音にとってはかけがえのない思い出の場所でもあると言うのに。

「わかったらさっさと出ていきなさい!」
 呆然とする雪音の前で、愛鈴咲がびりびりとノートを破った。

「おっかしいの! 自分の家じゃないのに自分のものだと思い込んで! あんたにはゴミがお似合いよ!」
 愛鈴咲はけらけらと笑い、破片をばあっと舞い散らせる。

 雪音は呆然とそれを眺めた。破片はひらりひらりと宙を舞った。雪音にふりかかり、手元に落ち、白く床を染めた。
 雪音はそれを搔き集めてビニール袋に入れた。
 そして、フラフラと家を出た。
 手にしているのはいまやゴミとなった日記と通勤のバッグだけ。

 どこへ行ったらいいの。
 私に行くところなんてないのに。

 気が付くと、職場に続くイルミネーションの歩道に来ていた。
 黄金色の瞬きを陰鬱に眺める。

 両親と手をつないだどこかの子供が、きゃはは、と歓声を上げた。
 ぼんやりとそれを見送り、マッチ売りの少女を思い出した。彼女はほのかな炎に暖を求め、幻影を見た。

 私も幻影が見たい、とLEDの光を見て思う。
 優しかった両親、そのぬくもり。
 今やその手の感触も思い出せない。
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