私と彼の溺愛練習帳
 別れの方法なんて、どうだっていい。
 会って言おうが電話だろうがメールだろうが、結局は別れるのだから。
 正面に座る彼は申し訳なさそうにうつむいている。仕事帰りのスーツはしわが寄っていて、くたびれた感じがした。どうってことない普通の人。そして自分もまた普通。いや、普通以下か、と思い直す。

 平日の夜のファミレスで私たちはどう見えるのだろう、とぼんやり思う。
 どう見ても別れ話の最中だよね、と雪音はため息をついた。
 ひと気が少なくて、話を聞かれずにすむのがせめてもの救いだ。
 合皮のソファは硬くて、中途半端にオシャレな照明が滑稽に見えた。嘘くさい、欺瞞に満ちた明るさだ。

「ごめん、せめてきちんと会って謝罪したかった」
 申し訳なさそうな声に、雪音はまたため息をついた。
 なにをどう取り繕っても、恋人——今や元恋人となった遠野惣太(とおのそうた)がやったことにはかわりがない。

 よりによって、と雪音は唇を引き結ぶ。
 よりによって、従妹の里柴愛鈴咲(さとしばありさ)と関係を持つなんて。

「全部俺が悪い。彼女を責めないでほしい」
 よく言う、と雪音は冷めた目で彼を見た。

 愛鈴咲についての愚痴はたまに彼にこぼしていた。
 一緒に住んでいる愛鈴咲は二十五歳、雪音より六つ下。叔母の娘で従妹。
 雪音が十歳になったとき、母が行方不明になった。父は幼稚園の頃に亡くなっていたから、雪音は一人になった。
 だからその直後に叔母一家と同居になった。その頃からずっと、愛鈴咲にいじめられてきた。

 物を隠され、とられ、壊され、毎日悪口を言われた。彼女の母である叔母は愛鈴咲ではなく雪音をとがめ、一緒にいじめた。食事を抜かれることは頻繁にあり、給食が生命線だった。寒い夜でも暖房にあたらせてもらえず、よく風邪をひいた。お風呂にはあまり入れず、臭った。叔母たちがいない間に、必死に水で洗った。

 叔父はなにも言わず、静観していた。子供時代には、ときおりそっと五百円ほどのお小遣いをくれた。叔父なりの謝罪なのだ、と子供ながらに思って受け取った。貯金しようとすると愛鈴咲にとられるから、すぐにパンなどを買って食べるようにしていた。

 服は着た切りスズメになり、成長に合わなくなった。
 それを見ても学校の先生はなにも言わなかった。思い余ってうちあけたときには「大変だな、いつでも話は聞くぞ」と優しく言われただけだった。
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