私と彼の溺愛練習帳
 友達はしだいに雪音と距離を置くようになった。
 ご近所は叔母の言うことを鵜呑みにして、やっぱり親がいないとね、と妙に納得しただけだった。親戚の子を預かる親切な叔母だと思いこんだのだ。
 汚くて臭い雪音の話を聞いてくれる人はいなかった。小奇麗に身なりを整えた叔母一家だけを、周囲は信じた。
 味方はいない、と子供心に理解した。

 中学や高校の入学で制服その他学用品が必要な時は盛大に文句を言われた。雪音は頭を下げ続け、叔母になんどもなんども恩を着せられながら、なんとか買ってもらえた。

 当然、携帯電話は買ってもらえなかった。だからそれを手に入れたのは就職してからだ。

 そうして、なんとか大人になった今も同居しているし、嫌がらせを受けている。それでも、両親が建てた家なのだから出て行く気にはなれなかった。

 彼はそれをすべて知っているというのに。
「責任をとって、彼女とつきあおうと思っている」

 そんなこと聞かせなくていいのに。子供ができたわけでもないのに責任って。
 言えずに、雪音はうつむく。

 愛鈴咲に誘惑され、一夜の関係を持ってしまったのだ、と彼は言った。
 雪音に関する大事な話がある、と彼女に呼び出され、酒に酔い、誘惑に負けた。
 真面目な彼はそんな自分が許せなくて、雪音に全部告白したのだ。

 正直に言わなくても良かったのに。嫌になったと、そう言って別れてくれた方が良かった。
「私にも悪いところあったから」
 雪音は言う。
 彼が誘惑に転んだのも仕方ないと思った。

「だけど……俺は不誠実だ」
「仕方ないわ。性欲って三大欲求の一つだもの。食べて、やって、眠って。満足できたでしょ」
 憎まれ口を叩いて席を立った。

 コーヒーの代金は置いていかなかった。
 せめてもの復讐だ。みみっちいけど、と内心で自分を嘲った。
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